塩屋天体観測所東経135度子午線を訪ねて子午線道中膝栗毛
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子午線自転車大縦断之記
(その四)兵庫県但東町〜京都府網野町

谷底の木星食

 8月16日の朝は木星食。自転車に積む荷物はさんざん軽量化してきたくせに、6cm屈折望遠鏡だけはしっかり積んできた。ところが食まで30分を切った2時半過ぎ、東の空を見てみると、出ているはずの月がない。

 野宿した但東町は山間で、地平線近くの見通しが効かないのだ。東の空の見通しのよい場所を選んで寝たつもりだったのだが、予想外に月の高度がないようだ。しまった。

 慌てて荷物を撤収して、山の切れ目を探して走り回る。真っ暗やみの中、じゃりみちの林道まで登ったが、昇りかけのオリオンは見えても、あともう少しのところで月が見えない。時間は容赦なく過ぎ、時計をみるともはや2時50分。食が始まるのは3時前後。もはやこれまでと思ったが、一か八かで谷間の国道まで駆け下ることにした。

 標高が下がれば周りの山が高くなるのだが、国道の谷まで下れば、うまくいけば谷沿いの低地から月が見えるかも知れない。こうなりゃ、やけだ。

 国道の交差点まで、一気にペダルを踏んでかけ下る。東の方角は、まだ山。

 「月はどっちだ」……こうしている間に、時間は刻々と過ぎていく。道路が緩やかにカーブを描き、見晴らしが開け始めた。見えた、月だ!!

 もはや木星は肉眼では確認できない。あわてて望遠鏡を向けると、今まさに月縁に潜入せんとするところ。架台をセットする時間がないので、歩道が広い場所なのを幸い、道路の柵に望遠鏡を載せて、そのまま手持ちで潜入の様子を見続けた。

 その後、役場の向かいの町立体育館に移動して、出現はしっかり観望。まだ夜明けまで時間があったので、そのまま体育館の軒下で一寝入りした。

朝焼けは霧の中に

 目が覚めると、辺り一面の霧。

 散歩する人が怪訝そうにこちらを見ている。明るくなってから気付いたが、考えてみれば町の真ん真ん中で寝ていたわけだ。あわてて荷物を積み込んで出発。但東町に昔からある子午線塔を目指す。

 北緯35度15分、東経135度。この交点にあるのが但東町の子午線塔。実は県道を挟んだ斜向かいの位置に、コンクリート造りのずんぐりした時計塔と、御影石の大きな日時計があって、互いに子午線を主張している。両方とも町が建てたもののはずなのだが、東西に50mほどずれていて、いいかげんというか、おおらかというか……

 天文測量を2度も繰り返した明石市や、日本測地系に飽きたらずGPS測量で新たに経緯度交点を設定し直した西脇市の生真面目さが、なんだかいじらしくなってくる。

 手持ちのフィルムが切れかかっていたので、店を探したが、午前7時を回ったばかりで、開いている店が見あたらない。そういえば昨日からコンビニエンスストアを見かけていないことに気付いた。街の生活になれていると、うっかりこういうヘマをやらかす。なんだかんだ言っても、便利な生活に浸っているんだよなぁ。

 商店街……といっていいのか、街道沿いの集落でシャッターを開けていたおっちゃんに声をかけて聞いてみると、近所の床屋が写真屋も兼ねているという。ほんまかいなと半信半疑で床屋に行くと、色あせたフジカラーのノボリが立っていて、たしかに写真を扱っているというのはウソではなさそうだ。

 こんな朝から開いているものかと思ったのだが、ドアには鍵がかかっていなくて、「すんませーん」と叫んだら、中からおっさんが出てきて、奥からゴソゴソとフィルムを出してきてくれた。それにしても、店の中はゴチャゴチャで、とても床屋をやっている雰囲気ではなかったのだが、本当は何で食べているお店なんだろう。

トンネル内の子午線標識

 国道482号線を北上し、真新しいトンネルを抜けると、京都府久美浜町。このトンネル、「たんたんトンネル」という愛称がついていて、なんだかタヌキが出てきそうだが、但東と丹後から一字ずつ取ったものなのだろう。トンネルの但東側には工事中に出たとかいう湧き水があって、けっこう美味しかった。

 2車線の立派なたんたんトンネルからの下り道は、道路が未整備のままで、1車線どころか車のすれ違いも困難な細道が続いている。随所に「大型車進入禁止」の看板が立っているが、これで国道なのだから恐れ入る。やがて久美浜市街へ降りる国道312号線と合流。一息ついた。

 この久美浜町、子午線が通っている町とはいえ、街の東側の峰山町との境界付近をかすっているだけなので、特に子午線を意識したPRは行っていない。温泉と海水浴場を抱えているから、観光には不便しないのだろう。事前調査でもなにも出てこなかったのだが、どこに何があるのか分からないのが行き当たりばったりの自転車旅行。

 目を付けたのは国道312号線比治山峠。久美浜町から峰山町に抜ける唯一の道で、もし久美浜に子午線標識をつくるなら、この道沿いをおいて他にない。ちょっと遠回りになるのだが、念のため、寄ってみることにした。

比治山トンネル内の標識

比治山トンネル内の標識

 比治山峠は新しいトンネルが掘られていて、トンネルの中が隣の峰山町との境界になっている。トンネル内は排ガスの逃げ場がなく、騒音もきついので自転車で通るのは好きではないのだが、峠の登り坂をヒィヒィ言いながら登るよりは、楽できるだけありがたい。おまけに比治山トンネルは車の通行量が少なく、のんびり走れるのもありがたい。

 大して期待もしていなかったのだが、トンネルの入口から百数十mも入った辺りだろうか、歩道に白く塗られた鉄杭が立っていて、そこに「子午線 東経135度線」と書かれていた。

 よく見ると、同じものが車道の反対側にも立っている。大きさは腰の高さほどもないもので、高速で薄暗いトンネルを駆け抜ける車からでは、まず気付くことはないだろう。

 位置からして、日本測地系の子午線に合わせてつくったもののようだが、このトンネルが出来たのは2000年末。世界測地系への移行を決める測量法の改正準備が既に進められていたはずだが、何ですぐにズレてしまう現行法上の子午線の位置にこだわったのだろうか。国土交通省の仕事だとしたら、なんだかマッチポンプのようなお話だ。もっとも役所なだけに、分かっていても現行の法律に従った位置に標識を建てざるを得なかったのかも知れない。

 トンネルを反対側に抜けて、峰山町に出る。この町も世界測地系移行後は、町の西側ギリギリいっぱいを子午線が通過し、新たに「子午線のまち」の仲間入りする可能性がある。ただ、このトンネル内では子午線は久美浜側に残るらしい。なんだか微妙な話になってきた。

 峰山側には、トンネルが出来る前、山上の峠を越えていた旧道の入口が残されていた。2車線の道路が今でも使えそうな状態で延びているのだが、入口には柵があり、ていねいに鍵までかけられている。この旧道の上にも何かあるかも知れないと思ったが、一応立入禁止の扱いだ。無理せずトンネルを引き返して、久美浜町へ降りることにした。

子午線最北端の地へ

 久美浜から網野町へ抜ける国道178号線。

 やがて日本海が見えてきて、海水浴客で賑わう砂浜の華やぎが伝わってくる。

 ここまで来れば、旅も大詰め。網野町の看板を過ぎると、いよいよラストスパートだ。

 いったん道は海岸を離れ、引原峠への坂を登っていく。峠といっても大した高さはなく、すぐ脇を北近畿タンゴ鉄道の線路が併走している。鉄道は自動車に比べはるかに勾配に弱いので、線路が平行してるような坂道なら、自転車でもあまり苦にならないことが多いのだ。

 峠の頂上に網野町の設けた「子午線塔」がある。地球儀をモチーフにしたずっしりしたデザイン。車の通行量の割に立ち寄る人は少ないようだが、存在感は十分だ。

 峠を下ると、網野の市街地。まちの向こうに再び日本海が見えてくる。この先、海岸の岩場に沿って走る「県道665号線」というやたら桁数の多い道路が、子午線日本最北端の地へのルートとなる。

子午線最北端の地にて

子午線最北端の地にて

 県道665号線は、数字の大きさの期待に違わず、アップダウンの激しい狭い道。登り繰り返しを繰り返しながら高度を上げ、眼下に広がる岩礁の景色が、どんどん見事なものになっていく。カーブをいくつ曲がった頃か、ようやく「子午線最北端塔入口」の看板が見えてきた。

 入口は階段の歩道になっていたが、はるか淡路島から一緒の相棒の自転車を、最後の最後で置き去りにするには忍びない。たいした距離でもなさそうだったので、担いで階段を上った。すぐ土の道になり、自転車を転がしながら先へ進む。やがて見えてきたステンレスのモニュメント。

 午前11時11分、子午線最北端の塔、到着。日本海に突き出た断崖絶壁の上が、今回の旅の終着点となった。

 ここまでの走行距離、318km。緯度にして1度8分29秒北上したことになる。それにしても、3日半も走って1度とは地球もなかなか大きいものだ。

 帰りがけ、せっかくだからと寄ってみた海水浴場で、護岸の上を歩いていたら、足を滑らせて思いっきり日本海の塩水に浸かってしまった。汗に塩水がまじって、なんとも塩辛い味がした。

※この文章は「135°の星空」No.116,No.117(明石市立天文科学館星の友の会会報)に掲載したものに、加筆したものです。

(2001年8月16日訪問)

塩屋天体観測所東経135度子午線を訪ねて子午線道中膝栗毛
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