塩屋天体観測所東経135度子午線を訪ねて子午線道中膝栗毛
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友ヶ島灯台135°(後編)

(2007年11月3日訪問/2007年11月4日記)

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友ヶ島灯台一般公開

坂の上の灯台。灯火の標高は60m 灯台内部の階段

 この日の目玉は友ヶ島灯台の一般公開です。

 友ヶ島灯台は、1870〜1872年にかけて、お雇い外国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの手で建設されました。

 リチャード・ヘンリー・ブラントンは明治初頭、日本国内に26ヶ所の灯台を建設し、技術指導にも尽力。「日本の灯台の父」と呼ばれているそうです。神戸や明石の近辺では、旧和田岬灯台(神戸市須磨区に移築保存)、江埼灯台(淡路市で現役)がブラントンの手によるものです。

 友ヶ島灯台の竣工・初点灯は1872年8月1日(新暦)。ですから2007年が開設135周年となります。

 灯台内部の階段は、狭くて急で、階段と言うより梯子です。もともと一般人の見学など想定していない硬派な設計です。

灯台の最上階が見えてきました 灯火を支える鉄柱の銘板

 3階建ての建物の頂部が灯火を灯す部屋になっていて、金属製の格子の上で、クルクルと明かりが回っています。

 鉄柱の銘板は"CHANCE BROTHERS -& Co - NEAR BIRMINGHAM 1871"と記されています。「チャンス兄弟社 バーミンガム近辺 1871年製」というところでしょうか。灯台のデビュー以来、共に使われ続けてきたことが伺えます。製品も頑丈だったのでしょうが、歴代の灯台守のメンテナンスもしっかりしていたのでしょう。

赤白2色の灯火が点滅、こちらは赤 灯台の窓ガラスから見た景色

 友ヶ島灯台の光り方は「単閃白赤互光」というもの。毎10秒に白1閃光赤1閃光ということなのですが、分かりやすくいえば、「白−赤−」のサイクルが10秒ごとに繰り返されるということ。

 白の灯火はランプ2灯、赤の灯火はランプ4灯ですが、これは赤の方がフィルターをかける分、暗くなるのを補うためです。白赤ともに2系統のランプ群があり、故障すると自動的に予備系灯に切り替わるようになっています。

 光源はメタルハイドロランプ。プラネタリウム好きの人なら、大平技研の「メガスターII」シリーズに採用されているのと同タイプの光源といえば察しが付くでしょうか。効率が良くて明るいのが特徴です。

 灯台の光源といえば大きなレンズの印象がありますが、レンズだと重い上に大きいサイズの製品は製造が難しいということで、反射鏡に取って代わられているそうです。何だか巨大天体望遠鏡の歴史を聞くようです。

灯台頂部からの眺め。絶景 陸地側は光が漏れないよう塗りつぶされています

 灯台頂部からは友ヶ島水道の絶景。若干かすみがかかっていますが、それでも淡路島の北端、明石海峡大橋の主塔まで見えます。もう少し透明度が高ければ、六甲山系の山並みも見えるのだとか。たしかに私も、神戸市内から友ヶ島を見る機会も多いですから、お互い見通し距離ということです。

 友ヶ島灯台の灯火は約38km届くそうです。これは明かりの強さよりも、地球の丸さの制約によるもの。ということは、友ヶ島が見える神戸からも見ることができるのでしょうか。こんど試してみようかな。

友ヶ島の子午線

この日にあわせて設置された子午線標識 地面にはロープで子午線表示

 いよいよ本題の東経135度子午線です。

 旧日本測地系時代は友ヶ島水道の海上を抜けていた東経135度子午線は、世界測地系への移行によって、友ヶ島の陸上を通過することになりました。

 友ヶ島灯台の経緯度は北緯34度16分51秒、東経135度00分02秒(数字を丸めなければは01.5秒とのこと)。ということで、灯台の約40mほど西側が子午線通過地点となります。

 「友ヶ島135°」の開催にあわせて、ここに子午線標識……看板が立てられました。海上保安庁の職員が、GPSで測って建てたという本格派。灯台を入れた写真がバッチリ撮れるように場所を選んだそうです。

 名実ともに、日本最南端の子午線標識です。

日時計台あれこれ

撤去された「日時計台」跡 在りし日の「日時計台」

 さて、旧和歌山天文館の高城武夫さんが「友ヶ島の子午線標識」と紹介していた灯台の日時計台。

 その後、危険ということで撤去され、現在は台座の基部だけが残されています。

灯台の北側で休憩中 なんと日時計が出てきました!

 御影石でできた日時計台そのものは、灯台の北側の金網の向こうに横たわっていました。ちょっと寂しげな感じです。

 ところがこのあと、驚きの品物が出てきます。日時計の話題で盛り上がっているのを耳にしたスタッフの方が、往時、日時計台の上に据え付けられていた日時計の現物を出して下さったのです。

上から見た日時計 解説のパネルもあったりします

 まさか現存していようとは思わなかったので、この展開にはびっくり仰天。

 日時計には"West & Co Fleet St. London" の銘板。「ウェスト会社 ロンドン・フリート通り」ということで、年代こそ記されていませんが、イギリス製なのが分かります。ロンドンのフリート通りは現存していて、ロンドンタワーからちょっと西側のテムズ川に近い場所の東西の通りです。

 海保の方の話では、「灯台ができたときからあった」とのこと。

 日時計だけを輸入するのは高く付くはずですから、灯台の建設時に、その他の資材ともどもイギリスから輸入したものと考えるのが自然でしょう。

 「日没や日の出に合わせて灯台の点灯を行っていたので、日時計で時間を合わせていたのです」とはスタッフの方。「古くて大きい灯台ならどこにでも(日時計が)ありますよ」と海保の方。

 日時計台の建設時期が分からないままだっただけに、なんとも驚きのお話でした。

※日時計台を巡る子午線についてのお話は、「友ヶ島の子午線標識をめぐって」にまとめました。

シゴセンジャー登場

自己紹介がてらに簡単なクイズ そしてあらわれるブラック星博士

 「友ヶ島灯台135°」初日の11月3日は、「軌道星隊シゴセンジャー」のショーが行われました。明石市立天文科学館を拠点に活躍している彼らも、ついに子午線通過日本最南端の地に上陸です。

「子午線をメチャメチャにしてやるんじゃあ」 わがままなブルー復活

 「135周年という一見、中途半端な数字でお祝いをするのは、ここに135度子午線が通っているからなんですよ」なんて話で盛り上がっていると、例によってこの人の登場です。

 ♪テン、テン、テンテケテンテン……と、テーマ曲!?に乗って現れたるはブラック星博士。せっかく海保の方が建てた子午線の看板にロープをかけ「子午線をメチャメチャにしてやるんじゃあ」と暴れ回ります。

 ブルーがクイズで立ち向かいますが、ブラック星博士のさむーいダジャレにパワーを吸い取られ危機一髪となるも……応援に駆けつけたレッドと会場の声援で無事に復活。

シゴセンジャークイズアターック! さらば哀愁のブラック星博士

 最後は子どもたちの応援を得て、ブラック星博士をコテンパンにやっつけます。

 「友ヶ島よりもっと南の島を目指すんじゃあ」と去りゆくブラック星博士。

 ここから先、赤道の向こうまで陸地がありませけど、大丈夫でしょうか(悪役の心配をしてどうする)。

子午線標識のシゴセンジャー 友ヶ島灯台のシゴセンジャー

 ということで、無事に友ヶ島の平和は守られたのでした。

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