兵庫にまつわる小惑星へ戻る>

2835 Ryoma (龍馬)
【坂本龍馬/武士・江戸時代末】



1日ごと 5日ごと 10日ごと


登録番号2835仮符号1982 WF
名称Ryoma (龍馬) 発見日 1982年11月20日
発見者関 勉提案者関 勉
軌道要素2000.0年分点(MPCORBによる)
元期 2001年10月18日
平均近点角 110.83085°
平均日々運動 0.21646576° 近日点引数

349.47460°

軌道長半径

2.7471133天文単位

昇交点黄経

5.48084°

離心率

0.0811083

軌道傾斜角

1.33623°

公転周期

4.55年

標準等級

12.1等





高知市・桂浜に立つ坂本龍馬銅像
 1982年11月30日に高知・芸西天文台の関勉さんによって発見された小惑星。
 命名の由来となった坂本龍馬は1835(天保3)年生まれ。土佐藩の郷士(下級武士)で、のち脱藩して討幕運動に奔走。薩長同盟を締結させ、維新回天の立役者となります。一方で日本最初の株式会社となる「亀山社中」を結成し、長崎を拠点に商業・海運業を営みました。
 倒幕後の国のあり方にも目を向け、明治政府の施政方針である「五ヶ条の御誓文」の原案となる「船中八策」を起草したことも知られています。
 1867(慶応3)年11月、江戸幕府が京都朝廷に政権を返上した大政奉還の翌月、京都近江屋で刺客に襲われ、33歳の生命を閉じました。
 
神戸市中央区波止場町にある「海軍営之碑」。諏訪山公園にある碑のレプリカが建てられています
 龍馬は土佐藩脱藩後、幕府軍艦奉行の勝海舟に入門し、海事や航海術を学びました。1864(元治元)年に勝が設立した「神戸海軍操練所」は龍馬が塾頭を努め、運営資金の調達や塾生の教育に励みました。神戸海軍操練所は幕府に反対する人物も入門させたため、1年ほどで閉鎖を余儀なくされますが、後に明治政府の外務大臣となる陸奥宗光など多くの人材が学びました。現在の神戸市中央区新港町の神戸税関の敷地一帯が、海軍伝習所の跡地といわれています。中央区諏訪山町の諏訪山公園金星台に、勝海舟が刻ませた「海軍営之碑」が残されています。

<関連ウェブサイト>

高知県立坂本龍馬記念館
勝海舟と神戸海軍操練所(神戸市役所ホームページより)

このページの先頭へ戻る>
兵庫にまつわる小惑星へ戻る>