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3686 Antoku (安徳)
【安徳天皇/平安時代末】



1日ごと 5日ごと 10日ごと


登録番号3686仮符号1987 EB
名称Antoku (安徳) 発見日 1987年3月3日
発見者新島恒男,浦田 武提案者新島恒男,浦田 武
軌道要素2000.0年分点(MPCORBによる)
元期 2001年10月18日
平均近点角 29.83109°
平均日々運動 0.21741728° 近日点引数 79.02665°
軌道長半径 2.7390924天文単位 昇交点黄経 134.82707°
離心率 0.1493459 軌道傾斜角 5.71326°
公転周期 4.53年 標準等級 12.4等




神戸市須磨区一ノ谷にある安徳宮。安徳天皇をまつっています
 1987年3月3日に新島恒男さんと浦田 武さんによって発見された小惑星。
 命名の由来となった安徳天皇は、第81代天皇。1178(治承2)年に高倉天皇と平清盛の娘・建礼門院徳子の間に生まれ、1180(治承4)年にわずか3歳で即位。これにより清盛は天皇の外祖父となり、平家政権の権力基盤の礎となりました。
 清盛死後、木曽義仲に破れた平氏は京都を捨てて西国へ落ち延びます。このとき6歳の安徳帝も平氏とともに都落ちし、再び京に戻ることはありませんでした。
 1185(文治元)年、壇ノ浦の戦いで敗れた平氏一門とともに、関門海峡に身を沈めます。わずか8年の生涯でした。
須磨区一ノ谷町・安徳宮の脇にある「安徳帝内裡趾傳説地」石碑
 神戸市兵庫区に「雪御所町」があります。平清盛の邸宅のあった地で、1180(治承4)年の福原遷都の際、6月4日から11月11日まで安徳天皇の内裏となっていました。
 また神戸市須磨区一ノ谷に安徳天皇の内裏跡があります。1183(寿永2)年の平氏一門の都落ちの際に一時的に内裏を設けた地という説があり、現地の説明版にもこの説が記されています。一説には1184(寿永3)年の一ノ谷の戦いの際に内裏が置かれた場所とも伝えられています。南面が海、東西を深い谷に刻まれ、北面が鉄拐山の急斜面に守られたこの地は、いかにも平氏の本陣にふさわしい場所です。ただ一ノ谷合戦の際は、安徳帝内裏は船上にあったという説もあります。

<関連ウェブサイト・参考資料>

・「日本の合戦 第一巻」,新人物往来社(1978)
・「兵庫県の歴史散歩 上」,山川出版社(1990)
・「[平家物語]事典」,学習研究社(1994)

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