塩屋天体観測所プラネタリウム・天文台訪問記
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2005年の科学万博(1)
つくば科学博〜EXPO'85〜から20年

(2005.8.22および2005.9.1訪問/2005.8.26記 2005.9.5追記)

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 科学万博を知っていますか?

 正式名称「国際科学技術博覧会」、通称「科学万博-つくば'85」。

 1985年に茨城県筑波郡谷田部町(現:つくば市)で開催された国際博覧会です。1970年の大阪万博、1975年の沖縄海洋博に続く、日本で3番目の"万博"でした。

 建設途上だった筑波研究学園都市は、この科学博を機に一挙に環境整備が進み、「つくば」「TSUKUBA」の名前が広く知れ渡ったのも、これが契機だったと思います。 「万博以前」「万博以後」という言葉は、つくばの歴史を語る上で、ながらく最重要のキーワードでした。茨城の片田舎の出来事でしたが、地元に住んでいた人間にとって、とにかくインパクトのある出来事でした。

科学万博記念公園

 茨城県つくば市の街外れに「筑波西部工業団地」があります。工業団地といいつつも、製品を作っているわけではなく、企業の研究所団地というのが実態です。ここがかつての科学万博会場跡地です。というより、将来は工業団地にするのを見越して会場を確保したという方が正しいでしょう。

 万博終了後に分譲されましたが、知名度が抜群だったこともあって、早期に売れてしまったそうです。2005年の愛知万博が、開発と環境保護をめぐって会場変更・縮小を余儀なくされたのは記憶に新しいところで、博覧会がその後の開発に結びついた最後の時代だったと言えるでしょう。

筑波西部工業団地案内図 万博記念公園案内図

筑波西部工業団地案内図(現地で撮影)
白く塗られているのが当時の万博会場跡地

万博記念公園案内図(現地で撮影)
当時のDブロックに相当

 この工業団地の一角に「科学万博記念公園」があります。大阪の万博公園に比べると規模も知名度も及びませんが、整備の行き届いたきれいな公園です。

ぴょんぴょん橋の周辺

 科学博当時は「Dブロック」と呼ばれていたエリアで、当時も施設はほとんど建設されず、会場内の公園的な位置付け。奇抜なデザインのパビリオンが林立する会場内で、異彩を放っていたブロックでした。

 写真の中央に見えるのが「ぽっちゃん湖」。万博当時からある池ですが、洪水調節池というのがその正体です。もともと山林だった場所を開発したために、土地の保水能力が落ちてしまい、大雨の時に一挙に下流に水が流れる恐れが生じました。このため遊水池の役割を持たせた池をつくり、下流の洪水を防ぐ役割がぽっちゃん湖に科されているのです。工業団地になる将来を見込んで、当初から計画されたのでしょう。

 真ん中にかかっている「ぴょんぴょん橋」ともに当時のままの風景です。もっとも木々は20年分成長しているはずですね。きれいに手入れされていて、気持ちの良い限りです。

科学博のおもかげ

退色した当時の看板 保存状態の良い当時の看板

色あせまくった当時の看板

中には保存状態の良いものも

 公園内の看板は、開催期間中のものをそのまま残しています。とはいえ20年の歳月で、文字は薄れ、地図に至っては真っ白に退色して全く用を為しません。傷んだままのものを見るのはつらいのですが、さりとて新しいものに作り替えられてしまっても寂しいですし、なかなか難しいところです。一ヶ所くらいはこのままの状態で残して置いて、あとは当時の状態に彩色復元してもよいのではと思います。

 木立の中を歩いていると、当時の地図がくっきり残っている看板がありました。直射日光がほとんど当たらない場所なので、劣化しなくて済んだのでしょう。改めて現在の公園図と見比べてみると、池や遊歩道にはほとんど変化がないことが分かります。

 少し前〜といっても前に来たのは前世紀かもしれませんが〜までは、科学博当時のコスモ星丸マークの入ったゴミ箱も残っていたのですが、こちらはさすがに撤去されてしまったようです。前に見た時点でボロボロでしたから、これは仕方ないか。ゴミ箱がゴミ扱いされてはしょうがないですものね。

ジャンボトロン付近拡大地図 エキスポプラザ付近拡大地図

ジャンボトロンとHSST

エキスポプラザ

 さて、当時の地図をたどると少しずつ当時の様子がよみがえってきます。Dブロックに立てられていたパビリオンはただ一つ、「ソニージャンボトロン」でした。高さ42m、2000インチという化け物テレビです。これに立体映像の偏光フィルターが仕込まれていると知った日には驚きました。あんまり大きくて、近くからではうまく立体視できなかったですけどね。とにかく強烈な印象のパビリオンでした。

 もう一つの巨大建造物は「エキスポプラザ」。こちらは政府の建設した催事場施設です。コンサートや閉会式・開会式などのイベントに使われていました。閉会式の時に植え込みの隙間を見つけて忍び込み、鉄柱によじ登って見ていたのですが(小学生だったもので)、皇太子退場の時に警備員がすっ飛んできて引きずり降ろされました。それまでの時間はお咎めなしだったのに、皇族というのはエライものだと思ったものです(戦前なら不敬罪ですね)。

 そうそう、パビリオンではないのですが、ジャンボトロンの右下にある「HSST」、当時日本航空が開発していたリニアモーターカーで、ここからAブロックの片隅を往復していました。愛知万博のアクセスに使われている「リニモ」の先祖に当たります。実用化するのに20年かかっちゃったんですね。

そして現在

テニスコート遠望 エキスポプラザ跡地のクレーター

林の向こうのテニスコートがジャンボトロン跡地

このクレーターがエキスポプラザ跡地

 ジャンボトロンの跡地はテニスコートになっています。まるで面影はありません。エキスポプラザの方は巨大なクレーターになっています。地面をすり鉢状に掘り込んで屋根をかけたような建物でしたから、解体した跡はこんなになってしまったのでしょうね。

送電線の鉄塔

送電線の鉄塔

 目立たないながらも……といいながら思いっきり目に付くものですが、この送電線の鉄塔は科学博当時のままです。ちょっとデザインが変わってますよね。公園の片隅にある変電所ともども、科学万博当時の姿をとどめています。

岡本太郎はいずこ

 大阪万博の「太陽の塔」に比べると、これも知名度も規模も圧倒的に及びませんが、つくば科学博にも岡本太郎のモニュメントがありました。その名は「未来を視る」。開催期間中からあったらしいのですが、どれくらいマイナーだったかというと、当時、全パビリオンを訪問した私でさえ、まったく存在を知りませんでした。

 会期後の新聞記事でモニュメントの存在を知り、家族で見に行ったことがあります(物好きな家族です)。高さ2〜3mほどの彫刻(?)で、奇抜な形は相変わらずながら、「これは知らなかったよなぁ」と家族一同。D・E・F・Gブロックのコーナーになる場所なのですが、ほんと、開催期間中は全く気にも留めませんでした。

 追記) 2〜3mというのは全く記憶違い、もっと巨大でした。(2005.9.5)

岡本太郎モニュメント跡地 宝くじ協会のプレート

えっと、ここにモニュメントが……あれ!?

このプレートが唯一の証拠か

 せっかくの当時の遺産ということで、足を運ぶと……あれっ、ない。たしかここに……

 モニュメントがあったはずの場所は立入禁止のロープが張られ、空虚な姿をさらしていました。お、岡本太郎さん、ど、どこへ消えてしまったのでしょう!?

科学の門

科学の門・遠望 青空に映える科学の門

科学の門

青空に映えて美しい

 科学万博記念公園の現在のシンボルとなっているのが、モニュメント「科学の門」です。

 ステンレス製のモニュメントは、周囲の青空を映し出し、なかなか美しいものです。中央からはたくさんのボールがぶら下がり、四方の遠方から見ると「アルキメデス」「ガリレオ」「ニュートン」「エジソン」の顔になるそうです。

 当時の政府テーマ館にあったシンボルタワーをモチーフにしています。一見、開催当時からありそうな雰囲気のものですが、会期終了後、記念公園が整備されたときに建てられたものです。

 後付けとはいえ、この公園で一番科学万博らしいのが、この「科学の門」です。これからも大切にしていってほしいものですね。

復活の岡本太郎

万博記念公園駅前

 2005年8月24日、つくばエクスプレスが開業しました。もともと常磐新線の名で構想が持ち上がり、 運輸政策審議会で答申されたのは1985年7月、まさに科学博の最中でした。20年を経て開業にこぎ着けた「首都圏最後の通勤新線」です。

 つくばエクスプレスの駅の一つに万博記念公園駅があります。開業前は(仮称)島名駅だったのですが、科学万博記念公園の最寄り駅ということで、この名前になったようです。

 2005年9月1日、開通して間もないつくばエクスプレスに乗っていると、車窓に突然、白い物体が!

 なんと岡本太郎作の「未来を視る」モニュメント、万博記念公園駅前の広場にデーンと立ってます。こんな所に移設されていたのです。あたりはまだ一面の田んぼなだけに、異様な存在感を発揮しています。

 慌ててカメラを向けたので、ちょっと見苦しい写真になってしまいました。

 それにしても、会期中から会場内にあったモニュメント、移設しちゃうかなぁ……でも、ここにおいた方が多くの人の眼に触れて、幸せなのかもしれない。うーん、ちょっと複雑な気分。

 とにもかくにも、存在が確認できて、なによりでした。

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