塩屋天体観測所プラネタリウム・天文台訪問記
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南極観測船「宗谷」(3)

(2004.9.1,2007.1.3訪問/2007.11.17記)

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「宗谷」全景

船橋

船橋・左舷側

船橋・右舷側

 「宗谷」の船橋。後の「ふじ」や「しらせ」には艦長や副長の椅子がありますが、狭い宗谷の船橋にそんなスペースはありません。

クラシカルな操舵輪

こちらは機関のコントロール
レバーが2つあるのは2軸だから

ジャイロコンパス

こちらはたぶん磁気コンパス

 操舵輪は木製のクラシカルなもの。歴代の南極観測船の中では一番大きなサイズです。初期の南極観測に使われた操舵輪は、厳しい操船を余儀なくされたために痛みが激しく、第5次から新しいものに交換されています。

 コンパスは2種。今でも使えそうなくらいピカピカに磨いてあります。磁気コンパスは極付近では誤差が大きくなるので、磁極の補正をするとはいえ、ジャイロコンパスは欠かせないものだったでしょう。

ブリッジの後ろは海図室になっています
当時はもちろんGPSなどありません

船橋のウイングには双眼鏡(カバーの中)

 ブリッジのすぐ後ろに海図室があります。GPSのなかった当時は、紙の海図が海の道しるべでした。

 ブリッジのウイング(両側の張り出し部)は、整備が行われたのか、とてもきれいになっていました。建造から70年経つ船なので、維持するだけでも大変な手間と経費がかかっているはずです。

 個人的には、据え付けられている双眼鏡に機種が気になったのですが、残念ながらカバーの中でした。露天にさらして置くわけにはいかないので、仕方がないですね。

デッキ上いろいろ

青地にコンパスのファンネルマーク

 「宗谷」のファンネル(煙突)には、青地にコンパスが描かれています。コンパスは「安全な航海の道しるべ」ということで、海上の安全を担う海上保安庁のシンボルになっています。

 アラートオレンジの船体にワンポイントの青帯が、とっても良いアクセントになっています。海上自衛隊の所属になった「ふじ」「しらせ」のファンネルはオレンジ一色をてっぺんの黒帯で締めたデザインで、ちょっと素っ気ない表情なのです。

救命艇

後部からの救命艇

 展示されている「宗谷」には左舷・右舷に1隻ずつ、合計2隻の救命艇が備え付けられていますが、南極観測時は両舷に2隻ずつ、合計4隻の救命艇がありました。救命筏と合わせて、「宗谷」本来の船員が70〜90人、観測隊が30〜50人の合計130名分を確保していたわけです。

 巡視船になってからは船員60名だけになったので、余剰となったボートは下ろされています。

ヘリコプター発着甲板

ヘリ甲板から船首方向を望む

船尾方向を見る

 「宗谷」は南極観測船としては小型の船だったので、南極近辺では氷に閉じこめられて身動きできなくなることが何度もありました。第1次から偵察用に固定翼機とヘリを積んでいましたが、第3次からは本格的にヘリコプターによる輸送が行われるようになりました。

「宗谷」の搭載航空機

固定翼機

回転翼機

第1次(1956〜57)

セスナ180型×1

ベル47G型×2

第2次(1957〜58)

DHC-2型ビーバー×1

第3次(1958〜59)

ベル47G型×2
シコルスキーS58型×2

第4次(1959〜60)

第5次(1960〜61)

第6次(1962〜63)

セスナ185型×1

シコルスキーS58型模型(士官食堂に展示)

 この時期は実用ヘリコプターの黎明期で、第3次観測で採用されたシコルスキーS58型は当時としては大型のものでした。このクラスを船に積んで運用するのは他国でも例がありません。もっとも他国の南極観測船は、航行能力の高い大型船で直接接岸して荷役できたということもあり、「宗谷」の場合は必要に迫られた策だったといえます。

 第3次観測に先立っての改装では、船体後部に大型のヘリコプター甲板を増設。船体の左右に大きくヘリ甲板が張り出す現在の船容になりました。船体中央のベルG47型用の格納庫は小さすぎるので撤去され、搭載機は甲板に露天係留されました。

船尾からヘリ甲板を見る

増設された様子が分かります

 船尾からヘリ甲板を見上げると、小型の空母を見ているようです。実際、観測船時代後期の「宗谷」はヘリコプターを4機も搭載していたのですから、事実上のヘリ母艦です。第4次観測前にはブリッジ後方に航空管制室が増設され、後部マストにはヘリコプター吊り上げ用のクレーンも増設されています。

 「宗谷」の航空輸送の経験は、その後の「ふじ」「しらせ」にも引き継がれ、両艦とも広いヘリコプター甲板が設けられ、偵察用ヘリ×1機、輸送用ヘリ×2機の合計3機のヘリコプターが活躍しています。

特別展「南極観測 いま・むかし物語」

南極観測時の「宗谷」の操舵輪

「宗谷」の航海日誌

 2006年は「宗谷」が南極へ向けて旅立ってから50周年の節目の年でした。「船の科学館」では2006年11月〜2007年2月28日まで、特別展「南極観測 いま・むかし物語」が開催されていました。

 ふだんは見る機会の少ない展示物がいろいろ。

 写真の「宗谷」の操舵輪は第1次〜第4次の観測時に使われていたもの。小さな船体で何度も氷に体当たりする過酷な操船を行ったために、取り替えを余儀なくされたそうです。

 航海日誌も展示されていました。見開きにしてあるのは1956年11月8日。宗谷が東京・晴海埠頭を旅だった日のものです。

「ジロ」の剥製

当時の犬ぞり

 第2次観測時に悪天候で昭和基地に取り残され、翌年、奇跡的に生存が確認されたカラフト犬「タロ」「ジロ」の兄弟のうち、次男の「ジロ」の剥製も展示されていました。普段は上野の東京国立科学博物館にいます。なお長男「タロ」の剥製はは北海道大学植物園・博物館に収蔵されています。

 隣のスペースでは当時の犬ぞりも展示。

航海長のベッドとデスク

南極の石

 展示場の一角にあった「宗谷」航海長のベッドとデスク。幾度かの改装の折りに取り外されたものでしょうか。後継の「ふじ」「しらせ」では、調度品はスチール製品になっているので、この時代の木製品は暖かみを感じさせます。

未来へ引き継ぐもの

 お台場というと、星好きの方にはメガスターIIのある日本科学未来館が思い浮かぶところですが、「宗谷」もぜひ、機会をつくって見学することをおすすめします。理屈抜きに、伝わってくるものがある船です。

お台場の海に浮かぶ「宗谷」は、今でも南極観測船の出港時に"UW"の国際信号旗をマストに掲げます。

I wish you a pleasant voyage. 「ご安航を祈る」

 「宗谷」の思いは、今なお、南極観測隊に受け継がれています。

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(2004.9.1,2007.1.3訪問/2007.11.17記)

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