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悩学生の声 春よ来い

生物資源学類4年 大武圭介


 3月17日、つくばにもようやく春一番が吹きました。昨年よりも約1カ月遅く「春一番」というよりは「春の嵐」といった感じでした。春といえば何となく心楽しいものですが、今年の春一番はどことなく厳しい気がしたのは私だけでしょうか。
 さて、あの阪神大震災からもう3カ月がたとうとしています。新聞・テレビを見ていても震災関連のものはだんだん少なくなってきています。しかしながら現地では今なお多くの人が避難所生活を続けています。また、私が神戸にボランティアに行ってから2カ月近くたちました。皆さんにあの震災を忘れないで欲しい、という願いと共に、他でもない私自身のために……。
 正直言って、最初はとてもボランティア活動について書けないと思いました。約1週間の活動でしたが、あまりの経験にショックで帰ってしばらくは呆然としていました。しかし2カ月が過ぎた今、少しは冷静に今回の経験が振り返れそうな気がしてきました。
 私が神戸に入ったのは2月10日でした。そして17日までの約1週間を、灘区の避難所となっていた小学校周辺で活動しました。何よりもまず驚いたのは、被害を受けている所が局地的でかつ、ひどいということでした。大阪ではほとんど地震の被害は感じませんでしたが、西宮に入る辺りから目に見えて被害がわかりました。神戸などであれだけの被害をだしながらも、すぐ近くの大阪ですら、ともすれば地震などなかったかのような雰囲気がありました。況んやつくばにおいてをや。こちらに帰ってきて、そののんびりした雰囲気が愕然としました(それまでは気にもしなかったのですが……)。
 さて、「ボランティア」とは何か?――よく聞かれることですが、この問いに明確な答えが未だ見つかりません。しかし今回の経験は少なくとも私に"相手の立場に立って考え、行動する"ということの大切さを痛切に教えてくれました。(なんだ、そんなこと)と思うでしょうが、このことこそ人間にとってもっとも大切なことではないかと思えるのです。今回の震災は多くの人にとって初めてボランティアをする、受ける、そして送り出す立場になったのではないでしょうか。そのためあらゆる所でぎこちなさや、戸惑いが生じました。でもそれらは裏を返せば今までの生活の中で私たちがいかに他人に無関心でいたか、ということだと思います。この他人への無関心は、例えば最近の学校でのいじめ問題の根底にあるものと一致します。私を含め、多くの人が今回の経験を通じて、傷ついた人を救うのは人の優しさである、ということに気付いたとしたら大きな犠牲でした。だからこそ、私たちはこの震災を決して忘れてはならないと思います。
 <喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け>という言葉を聞いたことがあります。今回被災した方の話を聞いて思わず涙することが何度かありました。しかし今度は見事に復興した神戸の街で、共に喜びあえるように、できることを続けていきたいと思います。そして一日も早く被災地に本当の春が来ることを願って止みません。

(1995.2.10-17. 神戸市東灘区・キャンプオリザ)
(初出 有機農業新聞第16号 筑波大学生物農林学系棟D-209)