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観測所雑記帳 Feb.2003
コロンビア空中分解 2003年2月2日
日付が変わって、ニュースを見ようと思ってテレビをつけたら、画面に「スペースシャトル消息を絶つ」のテロップ。
一瞬、軌道巡航中に通信が途切れたのかと思ったが、すぐにバラバラの火球が四散していく映像が出て、再突入中のアクシデントだと分かった。そのまま、朝の4時までニュースを見っぱなしだった。
STS-107の7名の宇宙飛行士とご家族の皆様に心から哀悼の意を申し上げます。
そらのほん 2003年2月6日
わさぁ〜っとたまっていた仕事が一段落して、本屋に行ったらガサガサガサッと本を買い込んでしまった。
一緒に日食を見に行った鶴岡さんにお勧め頂いた「すばる望遠鏡」(家正則/岩波ジュニア新書)、そのうち読もうと思っていた「ニュートリノ天体物理学入門」(小柴昌俊/講談社ブルーバックス)、これまた日食でご同行させて頂いた「モリモトおじさんの宇宙のはなし」(森本雅樹/誠文堂新光社)。
な〜んか、よくよく見ると青少年向けの本ばかりなのだが、少年はともかく、青年の範疇には入っているのでよしとしよう。
通勤電車の車内が、しばらく宇宙と星空の時間になりそう。
コロンビア空中分解2 2003年2月8日
事故から一週間、当初有力視されていた外部燃料タンクの断熱材剥落〜衝突による耐熱タイルの破損のシナリオが否定的との見解が出された。この程度の期間で原因が分かるものではなく、これから破片の回収や、送信されていたデータの解析が進められ、数ヶ月から、たぶん半年、一年をかけて追求されていくのだろう。
コロンビアが最初に打ち上げられたのは小学3年生の頃で、当時はちゃんと理解できていたのかどうか、新聞の関連記事まで読みあさったのを覚えている。チャレンジャーの事故は小学6年生の時。TBSの秋山さんがロシアのソユーズで、日本人宇宙飛行の第1号となったときは高校時代。地学部の仲間と放課後の学校で、ミールとドッキング間近のソユーズのランデブー飛行を見上げていた。
毛利さんの初飛行は意外に印象が無くて、宇宙を行くスペースシャトルを見たのは2000年秋のSTS-92、若田光一さんの2回目のフライト。東海豪雨の後の愛知・西枇杷島町で、ほとんど天頂付近をゆくディスカバリーの姿を見た。その後も有人宇宙ミッションとは縁のないままで、次に何かを見たというのは、2001年春の、落下直前のミール。職場で同僚を誘って庭から見上げた。これがそのまま、ミールの最後の姿となった。
近いようで遠いような、地上400kmの宇宙。
薄皮のような大気の外側が、かくも厳しく、はるかな世界だとは。
大火球 2003年2月9日
2月6日20時30分頃に、大火球が流れたらしい。らしい、というのは俺は実物を見てなくて、あとで新聞で知ったからだ。
地元テレビ局のサンテレビがこれを偶然撮っていたのだが、このニュースも見ていない(ていうか、うちサンテレビ写らない)。
天文科学館に行ったら、たまたまこの火球の解析に来られた方がいて、一緒にこのビデオを見せていただいた。バラバラになって落下していく様子は、先のスペースシャトル事故を思い起こさせるのだが、「人工天体の可能性もあるけど、これは『天然もの』っぽい」とのお話。もっとも、隕石になったとしても、落ちたのは太平洋上なのだけれど。
それにしても、こういう現象にはつくづく縁がない。つくば隕石の時は、近くに住んでいながら、仕事中の出来事で見てないし、天文から遠ざかっていたのでさして大事件とも思わなかった。1999年の神戸隕石も同じ。なんだかなぁ。
そらのほん2 2003年2月9日
本屋で買い込んできてしまった。
「ご冗談でしょう、ファインマンさん(上・下)」(R.P.ファインマン/岩波現代文庫)、「困ります、ファインマンさん」(R.P.ファインマン/岩波現代文庫)、「星三百六十五夜
秋」(野尻抱影/中公文庫)、「新星座巡礼」(野尻抱影/中公文庫)、「日本の星
星の方言集」(野尻抱影/中公文庫)
ファインマンは物理屋さんだけど、天文学の親戚みたいなもの。それにしても、文庫で6册なのに、5,000円以上の大散財。
初火星 2003年2月10日
明け方東の空に、アンタレスと並んで昇ってくる火星を見た。
赤さは同程度。明るさは、アンタレスの方が少し上だったかな。今シーズンの初火星だった。
これからこれが、マイナス3等級近くまで明るくなって、世紀の大接近となるのだ。
そんなことを考えながら望遠鏡を向けたが、ほとんど天王星でも見ているような大きさで、模様も何も見えたものではない。高度が低かったので、大気のおかげで像もユラユラ。ほんとにこれが、近づいてくるのかな?
すごいんだろうなぁ。
読書の冬 2003年2月13日
職場の同僚に「宙の名前」という本を頂いた。林完次さんの写真と文で綴られた素敵な本。
実は同じ本が家の本棚に置いてあるような気がしたのだが、見覚えがあるような、無いような、なんか自信のない気分。部屋に帰ってみてみたら、我が家の本棚にあるのは1999年に角川書店から発刊された新装版で、今回頂いたのは1995年に光琳社出版から発売されたもともとの装丁のものだった。
基本的に内容は同じはずなのだけど、カバーの写真や装丁が微妙に違い、中の紙質も違っていて、それで印象が違ったのだ。もともと写真や文章そのものよりも、雰囲気を楽しむ本だから、それで半ば違う本だと思ってしまったらしい。不思議なものだ。
実は自分で買った方は、あまり熱心に読んでいなかったのだけど、頂いた方のが読みやすくて、いま空に出ている星のページを、仕事の合間にちらちらめくって眺めていた。
この一週間に、我が家に舞い込んできた星の本、合計9册。時ならぬ「読書の冬」となってしまった。
バレンタインコンサート 2003年2月14日
明石市立天文科学館での「バレンタインデープラネタリウムコンサート」、観望会のお手伝いをさせて頂いた。
準備していた4台の望遠鏡・双眼鏡には、あっという間に長蛇の列。
昨年のお月見・クリスマスコンサートの時は、けっこう余裕があったのだが、今回は一瞬、ほんまに焦ってしまった。
土星を入れた望遠鏡と、すばるを入れた双眼鏡を担当していたのだが、双眼鏡は経緯台なので、頻繁に位置あわせをしなければならない。結局、土星の方はほとんど放ったらかしで、双眼鏡につきっきりになってしまった。
いつも極軸は適当にしか合わせないのだけど、この日たまたまセッティングの時間に余裕があったので、写真でも撮るような勢いで、珍しく慎重に極軸を合わせておいた。モータードライブの追尾で誤差がほとんど出なかったのと、途中から星の友の会の大西さんが土星の望遠鏡に付いていてくれたので、助かった。いやはや。
お月見・クリスマスと続いたシリーズの中で、今回は最高の天気。
なにせお月見はおぼろ月夜。クリスマスも1日目は後半曇り、2日目は薄曇りで見えたのは土星だけ……だったので、今回は「やっぱり空を見ていこう!」という人が多かったのかもしれない。
科学館のスタッフと同じパーカーを被っていたので、お客さんにはもしかしたら、区別が付かなかったかもしれない。
「すばるには、いくつくらいのほしが、あるのですか?」
と小学校に上がるかどうかのお子さんに訪ねられたときは、思わずこっちが緊張してしまった。
コンサート付きのプラネタリウムということで、普段と違った方々が、たくさん足を運んでくださっていたようだ。
これを機会に、もっとたくさんの人々が、星空を眺めてくれたら、と思う。
おみやげに頂いたのは、春の空のように柔らかな色のホワイトチョコレートだった。
名古屋市立科学館 その1 2003年2月23日
出張帰りに、名古屋市科学館に寄った。
ノーベル賞の特別展をやっていて、これがむっちゃ面白かった。
小柴さんの方では、スーパーカミオカンデで使われている光電管の実物や、大画面でのリアルタイムデータの表示に夢中になってしまった。「霧箱」という放射線の検出装置の実演では、ほとんど子ども状態でワクワクしてしまい、解説の方に質問を浴びせてしまった(……質問内容も子どもと一緒)。
田中さんのコーナーでは、彼の恩師がつくっていた自作の実験装置の展示があって、これがまた、味があって、思わず泣けてしまうくらい。ほんと、その辺の文房具とか身近な材料でつくっていて、いやー、ほんまに科学が好きな先生に出会って、科学が好きになったんだなぁ、と思った。
プラネタリウムの番組も「天文学のノーベル賞」。
番組編成は前年度にやっているはずだから、まさか小柴さんがノーベル賞を取ることは予想していなかったのだろうけど、なんかグッドタイミングという感じ。ちょうど20世紀の天文学を振り返っているようで、とても面白かった。
そうそう、プラネタリウムといえば、ミノルタのメディアグローブが置かれていて、オーロラの番組を流していた。ドームスクリーンの全てを使っていたわけではないのだけど、プラネタリウムというよりは、ドーム投影用のプロジェクターというところか。日食の次は、オーロラかなぁ。
名古屋市立科学館 その2 2003年2月23日
名古屋市科学館屋上の天文台で「昼間の星を見る会」をやっていた。
三鷹光機の65cm反射望遠鏡。見たのはこと座のベガ。
昼間の金星は見たことがあるけれど、恒星を見るのは生まれて初めて(太陽は別)。
淡いブルーの背景に、チラチラと輝くベガの姿が、なんともきれいだった。
観望会の運営は、名古屋市科学館の天文指導クラブ「ALC」の方々がされていて、この人たち、みんなボランティアなんやろか?
、と思いながら見ていた。
そういや、同じツアーでオーストラリア日食を見に行った渡辺さんが、たしか名古屋の天文なんとかクラブだと言っていたなぁと思って、スタッフの方に聞いてみたら、「いま館内にいますから」と、いきなり電話かけて呼び出して頂いて、びっくり。ちょうど観望会の終わりかけだったこともあり、望遠鏡の撤収の様子をずっと見学させていただいた。
65cmの鏡筒が、手動で動く姿は壮観。
ぜひぜひ、名古屋のみなさんにも、明石に遊びに来ていただきたいもの。
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