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ミザール6cm屈折経緯台


■借入のきっかけ

 小学4年生の時に星好きになり、「天体望遠鏡ほしい〜」と親にねだり続けた結果、翌年、親が従兄弟の家に眠っていたものを借り受けてきたもの。中学卒業まで借りっぱなしでした。5年間使っていたことになります。

■スペックとシステム

鏡筒:6cm屈折鏡筒
 (口径60mm 焦点距離1000mm F16.7 1群2枚アクロマート(推定))
架台:経緯台(垂直水平タンジェントスクリュー部分微動)
全重量:約5kg弱(推定)

 昔ながらのというか、かつての入門機を地で行くスタイルです。アイピースはMH20mmとMH9mmだったかがついていました。天頂プリズムとサングラス、なぜか渡辺教具の星座早見も一緒に入っていました。
 実家から当時の写真が出てきたので、掲載します。1988年当時の様子です。

■最初の印象

 雑誌の広告の赤道儀を見慣れた(?)目からすれば、ずいぶんあっさりしたものに見えました。それでも生まれて初めてやってきた天体望遠鏡。うれしいものです。
 もっとも、あとで同級生の持っていたタカハシFC-65(EM-1赤道儀)のセットを見て、あまりの質感の差に愕然としたのを覚えています。この場合、向こうが良い物を持ち過ぎですよね、小学生なのに。

■機動性

 確か全重量4.5kgくらいだったと思います。小中学生の頃に使っていたものですから、軽かったのは幸いでした。親に出してもらわないといけないような重さだったら、ろくに使わないままホコリをかぶっていたかもしれません。もちろん車も何も乗れませんでしたから、自宅の庭か、近所の空き地に持っていって使うのがせいぜいでした。

■操作性

 実は、そんなに良くはなかったです。悪いと言うほどでもありませんでしたが。
 いちばん困ったのがタンジェントスクリューの微動。動きはスムーズなのですが、部分微動なので星を追っかけているうちにすぐに目一杯になってしまうのです。何せ1000mmの長焦点に視界の狭いMHのアイピースのこと。地球の自転をイヤと言うほど認識させられました。

 また、鏡筒バンドでなく、ネジで架台に直づけする鏡筒だったのですが、これがなぜか前後のバランスが合っていませんでした。クランプをゆるめると、鏡筒がお辞儀してしまうんです。何でだったのでしょうね。

■光学系

 F16.7と古典的な長焦点アクロマート。理論的にはこれだけFが大きいと、アポクロマートと色収差が変わらないはずです。実際、青いニジミで困った記憶はありませんでした。

 月のクレーターや木星の縞模様とガリレオ衛星、土星の輪までは見ましたが、1986年の大接近時の火星の模様はさっぱりでした。ちなみに星雲・星団もさっぱりでした。かすかにM31とM42を見た記憶がありますが、双眼鏡の方がよく見えたという印象です。1985〜86年のハレーすい星もまたしかり。

 あまりシャープだったという印象はないのですが、これは対物レンズの性能よりも、安価なMHアイピースのせいかもしれません。中学生では見え味の改善のためにアイピースを買おうなんて思いませんでした。だいたい今みたいに安価なOrなんて出回っていませんでした(今の値段でも中学生には高価ですよね)。

 天頂プリズムですが、つけると視野がケラレて、タダでさえ狭い視界がますます狭くなるので、ほとんど使いませんでした。未だに天頂プリズムが好きでないのは、この時の後遺症かもしれません。

■ファインダー

 ファインダーにも泣かされました。といっても、別にファインダーの性能が悪かったわけではありません。

 たしか5×20でしたが、いとこの家から我が家にやって来たときは、まるで本体との平行が出ていなくて、何を導入しても視界が真っ黒で、泣きそうになりました。
 一ヶ月くらいしてから、本体にMH20mmのアイピースをつけて直に月を導入するという荒技に出たのですが、それではじめてファインダーがずれていたことに気付きました。ファインダーに調整が必要だということを知ったのはこの時です。借り物だから、説明書がなかったんでしょうね。いや、読んでいなかったのかな。

 それから木星を見て、最後に土星の輪にたどり着いたときの感動といったら……さんざん待たされた後だけに、家族を呼んで無理やり感動のお裾分けをしました。

■その後

 中学3年の時は夏休みにこれで太陽黒点の観測をやりました。太陽投影板がつけられないので、アイピース側にもう一つ三脚を立てて、そこにスケッチブックを載せて黒点を描くという荒技を使いました(上の写真はそのときの様子です)。どんどん太陽が動いていくのに、まともな追尾が出来ず、当然ろくな記録が取れません。黒点の移動の様子から太陽の自転周期を求めて無理やりまとめたのですが、先生には目新しく写ったのか、市の作品展に出品させられました。学問的に何の成果もないと分かっていたので、ええんかいなと思いながら発表用のポスターをつくりました。私の天文歴上、数少ない業績です(^_^;)。

 5年間付き合った望遠鏡でしたが、高校入学祝いにタカハシMT-130Eを買ってもらったのを機に、再び従兄弟の家に戻っていきました。その後どうなったのかは聞いていません。

 なんだかんだといっても、最初の感動を教えてくれた望遠鏡でした。こいつのおかげで、良い経験を積ませてもらったと思っています。こういう小口径屈折の経緯台で、天体望遠鏡の入門をした、最後に近い世代なのかもしれません。

(株)ミザール

(2003.2.24記/2004.1.5追記)


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