発見日の位置 軌道シュミレーション NASA's Near-Earth Object Program Office |
登録番号 | 3585 | 仮符号 | 1987 BC | ||||||||||||||||||||||||
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名称 | Goshirakawa (後白河) | 発見日 | 1987年1月28日 | ||||||||||||||||||||||||
発見者 | 新島恒男,浦田 武 | 提案者 | 新島恒男,浦田 武 | ||||||||||||||||||||||||
軌道要素 | 2000.0年分点(MPCORBによる) | ||||||||||||||||||||||||||
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命名の由来となった後白河天皇は、第77代天皇。1127(大治2)年の生まれで、在位は1155(久寿2)年〜1158(保元3)年。退位後、出家して法皇となり、二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽の五代に渡って院政を行いました。 保元の乱・平治の乱を平清盛とともに乗り切りますが、のち清盛と対立。鹿ヶ谷の陰謀に破れ、やがて清盛のクーデターで一時実権を失います。その後、各地の源氏に平氏追討を呼びかけ、清盛死後に平素を滅亡に追い込みます。木曽義仲を利用した後に孤立させ、平家滅亡後は頼朝・義経兄弟を離間させ、さらに奥州藤原氏を利用して頼朝を討とうとするなど、権謀術数を駆使して朝廷の権威の存続をはかります。 頼朝に「日本第一の大天狗」と評された後白河法皇ですが、その死去後、頼朝は鎌倉幕府を開き、以後800年に渡る武家の時代が幕を開けました。 後白河法皇は今様(当時の流行歌)の第一人者としても知られ、今様集「梁塵秘抄」は日本の文学史上重要な作品です。 |
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この時期には清盛と対立していた後白河法皇ですが、福原遷都に同行し、平教盛邸を御所としました。平教盛邸は、神戸市兵庫区氷室町の氷室神社付近にあったと推定されています。 |
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<関連ウェブサイト・参考資料> ・「兵庫県の歴史散歩 上」,山川出版社(1990) ・「[平家物語]事典」,学習研究社(1994) |