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3585 Goshirakawa (後白河)
【後白河天皇/平安時代末】


発見日の位置

軌道シュミレーション
NASA's Near-Earth Object Program Office


登録番号3585仮符号1987 BC
名称Goshirakawa (後白河) 発見日 1987年1月28日
発見者新島恒男,浦田 武提案者新島恒男,浦田 武
軌道要素2000.0年分点(MPCORBによる)
元期 2001年10月18日
平均近点角 232.85201°
平均日々運動 0.18363209° 近日点引数 14.40228°
軌道長半径 3.0655166天文単位 昇交点黄経 163.31052°
離心率 0.1906305 軌道傾斜角 3.01885°
公転周期 5.37年 標準等級 12.4等




神戸市兵庫区氷室町の氷室神社。平教盛邸の推定地で、後白河法皇の萱の御所があったとされています
 1987年1月28日に新島恒男さんと浦田 武さんによって発見された小惑星。
 命名の由来となった後白河天皇は、第77代天皇。1127(大治2)年の生まれで、在位は1155(久寿2)年〜1158(保元3)年。退位後、出家して法皇となり、二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽の五代に渡って院政を行いました。
 保元の乱・平治の乱を平清盛とともに乗り切りますが、のち清盛と対立。鹿ヶ谷の陰謀に破れ、やがて清盛のクーデターで一時実権を失います。その後、各地の源氏に平氏追討を呼びかけ、清盛死後に平素を滅亡に追い込みます。木曽義仲を利用した後に孤立させ、平家滅亡後は頼朝・義経兄弟を離間させ、さらに奥州藤原氏を利用して頼朝を討とうとするなど、権謀術数を駆使して朝廷の権威の存続をはかります。
 頼朝に「日本第一の大天狗」と評された後白河法皇ですが、その死去後、頼朝は鎌倉幕府を開き、以後800年に渡る武家の時代が幕を開けました。
 後白河法皇は今様(当時の流行歌)の第一人者としても知られ、今様集「梁塵秘抄」は日本の文学史上重要な作品です。
兵庫区今出在家町・薬仙寺にある「萱の御所」石碑。後白河法皇はこちらにいたという伝承もあります。
 1180(治承4)年に平清盛の号令による福原遷都が実施されます。福原は日宋貿易の拠点である大輪田泊(現在の神戸港の前身)を抱え、平氏の拠点の一つでした。
 この時期には清盛と対立していた後白河法皇ですが、福原遷都に同行し、平教盛邸を御所としました。平教盛邸は、神戸市兵庫区氷室町の氷室神社付近にあったと推定されています。

<関連ウェブサイト・参考資料>

・「兵庫県の歴史散歩 上」,山川出版社(1990)
・「[平家物語]事典」,学習研究社(1994)

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