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5578 Takakura (高倉)
【高倉天皇/平安時代末】


発見日の位置

軌道シュミレーション
NASA's Near-Earth Object Program Office


登録番号5578仮符号1987 BC
名称Takakura (高倉) 発見日 1987年1月28日
発見者新島恒男,浦田 武提案者浦田 武
軌道要素2000.0年分点(MPCORBによる)
元期 2001年10月18日
平均近点角 96.29255°
平均日々運動 0.19785132° 近日点引数 188.18700°
軌道長半径 2.9168231天文単位 昇交点黄経 179.88409°
離心率 0.0797252 軌道傾斜角 1.97719°
公転周期 4.98年 標準等級 12.1等




神戸市兵庫区荒田町・荒田八幡神社に立つ福原遷都800年記念碑
 1987年1月28日に新島恒男さんと浦田 武さんによって発見された小惑星。
 命名の由来となった高倉天皇は、第80代天皇。1161(応保元)年に後白河天皇の第7子として生まれ、在位は1167(仁安3)年〜1180(治承4)年。
 清盛の娘・建礼門院徳子と結婚しますが、父の後白河法皇と義父の平清盛の対立の狭間に立たされ、20歳で息子の安徳天皇に譲位します。その翌年、21歳の若さで早世。平氏に従順だった高倉院の死は、その後の平氏の勢いに微妙な影を投げかけていくことになります。
 1180(治承4)年に平清盛の号令で福原遷都が行われました。福原は現在の神戸市兵庫区一帯に当たります。京都の反平氏勢力の影響を避ける一方、大輪田泊(現在の神戸港の前身)を抱え、日宋貿易の拠点を軸に新国家の建設を狙ったものと言われています。もっともこの遷都は評判が悪く、同年の内にわずか半年で京都へ還都せざるを得ませんでした。
 既に安徳天皇に帝位を譲った高倉上皇も福原遷都に同行し、平頼盛邸・平重衡邸を御所としました。平頼盛邸は、神戸市兵庫区荒田町にあったと推定されています。

<関連ウェブサイト・参考資料>

・「兵庫県の歴史散歩 上」,山川出版社(1990)
・「[平家物語]事典」,学習研究社(1994)

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