塩屋天体観測所|プラネタリウム・天文台訪問記
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1992年12月10日、21時頃。島根県八束郡美保関町(現:松江市美保関町)に隕石が落下しました。
この隕石、なんと民家を直撃したのです。2階の屋根から1階の床まで貫いて、床下で発見されました。
日本国内で確認された隕石としては42番目のもので、落下地点の名称をとって、「美保関隕石」と名付けられました。
メテオプラザ |
美保関隕石は、その後、旧美保関町と島根県が費用を出して建設した「メテオプラザ」に展示されています。
日本海に面した七類という集落の静かな入り江に、何か間違ってしまったような豪勢な建物が建っています。総事業費約30億円。さすがに隕石単体の展示館ではなく、隠岐行きのフェリーターミナルや温水プール、町民ホールなどを併設した施設です(でも、その組み合わせも謎です)。
隕石の展示室は4階にあります。エレベーターで昇ると、受付兼売店に係の方が座っていらっしゃいます。
入場料・大人600円。
建物上部のまゆ型の部分と円錐状の塔が、隕石の展示室「メテオミュージアム」です。
まゆ型の内部は映像上映施設になっていて、隕石の由来を解説した10分弱の映画が上映されます。隕石は太陽系形成当時の岩石組成を残す「宇宙の化石」みたいなものなのですが、そんなこんなを説明します。原始太陽系のシーン、どこかで見たことあるなと思ったら往年のNHK番組「地球大紀行」の1シーンでした(制作はNHKの関連会社)。
上映が終わると、いよいよ美保関隕石とご対面です。
隕石を収めたケース |
円錐形のガラスケースに収められています。さすがに直接手で触れることは出来ません。
質量:6.38kg、大きさ:25.2×14.1×10.6cm。ジャガイモのメークインのような形ですが、一抱えほどもある大きさです。国内に落下した隕石としては比較的大きな部類に入ります。
こんなものが空から降ってきた日にはたまりません。2階の屋根と天井、2階の床、1階の天井と床、全て貫いて床下に達しました。家一軒を貫通したわりには、隕石本体に大きな破損はありません。とにかく家人に被害がなくて、なによりでした。
当日は冬の山陰特有の荒天で、折から雷雨の真っ最中。家の方は、ものすごい音で雷が落ちたのかと思ったそうです。そりゃ確かに、ふつうは空から石が降ってくるとは思いません。
落下からしばらく経って様子を見に行くと、床と天井に大穴が空いているのを発見し、翌日になって床下の隕石に気がついたという次第。
悪天候のため、落下地近辺での目撃はないのですが、少し離れた広島県を中心に目撃情報が寄せられ、軌道が推定されました。隕石はよく「流れ星が燃え尽きないで落ちてきたもの」と説明されますが、ふつうの流星と隕石では、すこし起源が違います。
流星の多くは彗星が撒き散らしたダストなのに対し、隕石はむしろ小惑星の仲間です。美保関隕石の場合、地球に衝突する直前は、公転周期3.36年の楕円軌道を巡っていたと推定されています。
近くで見た美保関隕石 |
なんとなく小惑星「イトカワ」に似てません? |
なんと家の内部まで再現 |
特別に触れさせて頂きました(うそ) |
このメテオミュージアム、メインかつ唯一の目玉展示が、美保関隕石です。
あとは主に写真パネルで隕石落下時の状況や、その後の隕石を取り巻く話題を紹介しています。中途半端な博物館にせず、隕石一つだけを主人公に置いたのは、ある意味、潔いです。
隕石が落下したお宅……松本さん宅は、家の内部まで模型で再現されて展示してあります。現在も使っている家を内部公開してしまうとは、よく思いきられたものです。
本物の隕石はガラスケースに収まっていますが、同じ大きさ・重さのレプリカは自由に触ることが出来ます。触るだけでなく、上記の写真のとおり、持ち運びも可。外国から購入した本物の隕石標本も実際に触れることが出来ます。
受付兼用のミュージアムショップでは、隕石の解説本や館のテレホンカードなどを販売していました。ちなみにテレホンカードの台紙、折り紙建築になっていて、これだけでも見事です。
私は長年探していたロケットのポスターを発見してしまい、うっかりこちらを購入してしまいました。
美保関隕石の落下前後の経緯についてWeb上で読むことの出来る解説としては、ほしぞら紀行・美保関隕石が詳しいです。
美保関隕石が落下したのは、メテオプラザから尾根一つ隔てた西側の惣津という集落です。七類から島根半島の北部を巡る道路が西に延びているのですが、この集落に通じるための道が、途中で分岐しています。
「美保関いん石落下地(松本邸)」と書いた看板まで立っています。隕石本体はちゃんと別の場所に展示してあるというのに、わざわざ落下地を見に行く物好きがいるのでしょうか。……自分がそうですね。
ともあれこの看板のおかげで、迷わず隕石落下地にたどり着くことが出来ます。なにせこの先は一本道です。迷うわけがありません。
隕石落下地の松本邸は海辺に建っています |
手前が落下記念碑、後ろが松本邸 |
惣「津」というからには、昔からの港だったのでしょう。静かで水も澄み、美しい入り江です。ただ、写真に収めようと思っても、どうしても雰囲気が出ません。ありきたりの風景なのだけど、人の手の入り方がささやかで程良い程度に収まっているおかげで、きれいな印象になるのでしょう。そんな静かな集落に、美保関隕石はやってきました。
松本邸は道路一本挟んで海に面しています。民家を直撃したというのも大した偶然ですが、もしも数十メートル落下地点がずれていたら、海中に落ちて、しかも折からの荒天で落下音も分からず、誰にも気付かれることなく水底に眠ることになったかもしれません。
また山側に落ちたら、いずれは人目に付くことになるかもしれませんが、やはり発見までに相当の日数を要することになったでしょう。
松本さんのご家族にけが人がなかったことも含めて、運が良かったということだと思います。
隕石落下の記念碑 |
松本邸の前には隕石落下の記念モニュメントが建てられています。デザインは全国から公募されたもの。中央には隕石のレプリカがはめ込まれています。
隕石落下から10年以上が経過し、さすがにここまで来る人も少ないようです。静かな集落でカメラをとりだしてパシャパシャやっているのが、妙に気恥ずかしいように感じました。
美保関といえば「美保関隕石まんじゅう」があったじゃないですか。まだあるのかな?
すっかりチェックするのを忘れていました。残念。
(2005.9.17訪問/2005.10.17記 福田和昭)