塩屋天体観測所プラネタリウム・天文台訪問記
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龍岡城五稜郭を見てきました

 龍岡城は長野県佐久市(旧南佐久郡臼田町)にある江戸時代末期の城郭です。なぜこのサイトに城跡が出てくるかというと……

 この龍岡城は、上から見ると見事な「星形」なのです。人呼んで龍岡城五稜郭。

 五稜郭というと、戊辰戦争で榎本武揚や土方歳三が拠点とした箱舘五稜郭(函館)が有名です。けれども信州の山間にもう一つの五稜郭があったことは意外に知られていません。

星形なのは何故?

 ところで箱舘といい、龍岡城といい、なぜ星形の城郭を構えたのでしょうか。当時の殿様が星好きだったから……ならば面白いのですが、残念ながらそうではありません。

幕末に伝えられた欧州近代城郭

 姫路城に見るように、日本の近世城郭は江戸初期に完成を見て、その後は幕府によって新規の築城も禁止されたことから、ほとんど進化が停まります。

 事情が変わるのは幕末。欧米諸国の黒船がやってきて、遅ればせながら、日本も重火器に対応した防御施設を構築する必要性に迫られたのでした。

 そこで手っ取り早く導入されたのがフランス流の築城術です。

 外郭の防御ラインに突き出し部(稜堡)を設けることで、近づく敵に十字砲火を浴びせることが出来ること。突き出し部をカバーする火線を張ることで、死角をなくしているのが特徴です。

 必ずしも五角形である必要はなく、実際に函館には四稜郭という変形四角形の城郭も残っています。

いざ龍岡城

稜堡の先端

石垣が折れ曲がった出入口付近

 星形のお城といっても、上から見ない限りは全体の形は分かりません。お城の周りを歩きながら、想像力を働かせることになります。

 龍岡城も石垣の角が直角ではないので、多角形になっていることはなんとなく分かります。

 堀幅は4間(7.2m)ということになっているのですが、それほど広いようには見えません。土塁の高さも7尺5寸(2.3m)ですから、かなり小規模なものです。

堀がない部分もあります

唯一残る台所

 冒頭の案内図にもあるように、水堀が完成しているのは全体の3/5ほどで、残りは空堀だったり、いきなり道路が走っている場所もあります。城内は現在、小学校になっていて、台所が当時の建物として唯一残されています。

 この台所も背の高い建物ですが、安易に外部からの砲撃の目標物にされてしまうので、もともとの欧州流ではこうした建造物はつくらないのが本当です。

 いずれにせよ、実戦に対する配慮はあまりされておらず、実験的な意味合いの強い築城だったのでしょう。1863年に築城が開始されたお城でしたが、完全な完成を見る前に、明治維新を迎えてしまいました。

あれこれ

 龍岡城の築城に取り組んだ殿様の松平乗謨は大給恒と名を改め、日本赤十字社の前身となる博愛社をつくったそうです。人間どこでどうなるか、分からないものです。

 さて、龍岡城の近くには「日本で一番海から遠い地点」の看板がありました。とっても興味を引かれたのですが、「入口まで8km」ということはその先がどうなるか分からないので、後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎました(最終的には山道を1.8km歩くそうです)。

 宇宙空間観測所といい、龍岡城といい、佐久市の一部となった臼田町、面白すぎるエリアです。

(2006.8.22訪問/2006.12.10記 福田和昭)

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