身近な天体ということもあって、月の描かれた切手は数多くあります。ここではシリーズで発行されたもののうち、歌と俳句にちなんだものをご紹介します。
月齢9〜10の上弦過ぎの月が西に傾いた姿ですが、月の沈む角度が浅いことから「秋陣営の霜の色」の月と思われます。なお春の上弦近くの月は、弦を上に向けて沈みます。歌の作曲は滝廉太郎、作詞は土井晩翠。滝にちなんだ豊後竹田城跡と、土井にちなんだ仙台城跡・会津若松城跡にそれぞれ『荒城の月』の石碑があります。 (1979.8.24発行) |
「菜の花畑に入り日薄れ見渡す山の端霞深し」ということで、春の夕暮れに東天から登る満月を唄った『おぼろ月夜』。図らずも太陽と月がちょうど地球を挟んで180度反対側に位置していることがよく分かる歌です。 (1980.4.28発行) |
1689(元禄2)年に「おくの細道」の旅に出た松尾芭蕉。その300周年を記念して発行されたシリーズです。旧暦3月20日に江戸・深川を発った芭蕉と曾良は、4月19日に那須の殺生石を訪れます。この句はその折りに詠まれたものです。この切手でおかしい点が一つ。旧暦19日なのに、描かれた月が三日月なんです。 (1987.6.23発行) |
芭蕉が金沢に着いたのは1689年旧暦7月15日。この句はその道中で詠まれたものです。沈みゆく秋の日の句ですが、右側の切手にはススキの向こうに昇る満月。旧暦15日ですから、この想像は理にかなったものです。ススキはちょっと早い気もするのですが……曾良の日記によると、この14日も15日も快晴だったとのこと。さぞかし見事な夕日と満月だったでしょう。 (1988.11.11発行) |
こちらは金沢から約一ヶ月後の旧暦8月に敦賀で記された句です。中秋の名月が目に浮かんできますが、これはその一日前の8月14日に詠まれたもの。この日はことに晴れていたそうですが、翌15日は雨で、芭蕉はこの年の名月を拝むことは出来ませんでした。 (1989.2.13発行) |
1997年から1999年にかけて発行された「私の愛唱歌シリーズ」より。「砂漠」ではなく「沙漠」となっていますが、「沙」は水が少ないことを表す文字で、こちらの表現を取る方が実状にあっているそうです。 (1997.10.24発行) |