1957年10月4日のスプートニク1号の打ち上げから始まった宇宙開発。現在は気象衛星や衛星放送など、知らず知らずのうちにくらしに密接に関わるものになっています。そんな宇宙開発の様子を描いた切手を集めてみました。
商業衛星通信の開始を記念して発行された切手。中央の人工衛星は「ラニバード2号」、いわゆるインテルサット衛星です。 (1967.1.27発行) |
描かれた人工衛星は静止気象衛星「ひまわり」。初代は1977年にケネディ宇宙センターから打ち上げられ、1981年の「ひまわり2号」から日本で打ち上げられるようになりました。切手の発行時は2号で、この年の8月に「ひまわり3号」が投入されました。「ひまわり4号」は1989年にH-I5号機、現在運用されている「ひまわり5号」は1995年にH-II3号機で打ち上げられ、2003年5月まで活躍しました。現在は2005年2月に打ち上げられた運輸多目的衛星“MTSAT-1R”が気象観測を行い、「ひまわり6号」として活躍しています。 (1984.6.1発行) |
1992年の「国際宇宙年」にちなんで発行された切手。左側手前の人工衛星は、地球観測プラットフォーム技術衛星「みどり」、左側奥が当時構想されていた日本版スペースシャトル「HOPE-X」、右側手前は実験用中型放送衛星「ゆり3号」、右側奥が建設中の国際宇宙ステーションです。 「みどり」は1996年にH-IIロケットで打ち上げられ、地球観測データを送り続けていましたが、太陽電池の破損でわずか10ヶ月で運用中断に追い込まれました。 「ゆり3号」は衛星放送サービス実施と技術開発のための衛星で、互いを補完するためにa,bの2機があり、「ゆり3号a」は1990年、「ゆり3号b」は1991年にH-Iロケットで打ち上げられました。いずれも1998年に運用を終了し、現在は後継機のBSAT-1aが衛星放送を行っています(BSAT-1aの打ち上げはESAのアリアンロケットを使用)。 国際宇宙ステーションは、ロシア・アメリカの宇宙開発予算削減の影響を受け、さらに2003年のスペースシャトル「コロンビア」空中分解事故のあおりを受けながら、現在もまだ建設が続いています。切手に描かれているのは、当時の完成予想図。 無人宇宙往還機「HOPE-X」は、実機開発が凍結中。宇宙往還機技術開発は形を変えながら今も進められています。それにしても10年余りとはいえ、宇宙開発の未来というのは、不確定要素が多いものです。 (1992.7.7発行) |
パラボラアンテナの電波を受けている人工衛星は、実験用静止通信衛星「さくら」です。切手の発行された時期には「さくら3号a」と「さくら3号b」の2機が運用されていました。2機とも1988年にH-Iロケットで打ち上げられ、3号aは1995年、3号bは1996年まで運用されました。 (1994.9.19発行) |
携帯電話と光ファイバーの後ろに描かれているのは、通信放送技術衛星「かけはし」。当初は1997年の打ち上げ予定でしたが、1998年に延期された上に、使用したH-IIロケット5号機の第2段エンジンの燃焼不良により、当初予定の静止軌道に投入することが出来ませんでした。最終的には準回帰軌道に乗せられ、変更した軌道上での出来る限りの実験を行いました。1999年に運用を停止しています。 (1996.11.8発行) |
2枚連刷の左側は、日本人で初めてスペースシャトルに乗り組んだ宇宙飛行士・毛利衛さんを載せた「エンデバー」の打ち上げ風景。1992年12月のことでした。毛利さんは現在、日本科学未来館の館長を務めています。 右側は日本人で初めて船外活動を行った土井隆雄さんの作業風景で、こちらは1997年の出来事。土井さんはアマチュア天文家としての活動歴も長く、2002年10月には、ろ座に超新星を発見しました。 「コロンビア」の空中分解事故の影響で中止されていたスペースシャトル計画ですが、この2005年7月に再開予定。STS-114「ディスカバリー」には野口宇宙飛行士が搭乗します。 (2000.12.22発行) |
宇宙開発事業団(現:JAXA)の手による純国産大型ロケット。静止トランスファー軌道に2tのペイロードを投入する能力を持ち、苦心の開発の末、1994年に初フライトに成功しました。日本の宇宙開発が世界水準に肩を並べた記念すべきロケットです。最終的に7機の打ち上げが行われましたが、為替レートの変動などによる高コスト化、第1段のLE-7エンジンの不調による打ち上げ失敗などから、後継機のH-IIAに主力ロケットの座を譲りました。なお、切手に描かれているのは、フェアリングの形状から1996年に打ち上げられた4号機と思われます。 (2003.12.16発行) |
上記のH-IIロケットは「日本初の純国産ロケット」と書かれることが多いのですが、純国産ロケットはすでに当時の東京大学宇宙航空研究所の手によって開発が進められ、実績を残してきました。日本初の人工衛星も、東大航空宇宙研のラムダ4S-5ロケットにより、1970年2月11日に打ち上げられています。ラムダロケットによる人工衛星打ち上げ計画は4度の失敗を重ねた苦労の連続で、5号機でようやく成功を収めることができました。この失敗の教訓は後継機のミューロケットに活かされ、その後のミューロケットの高い成功率にフードバックされています。 日本初の人工衛星は、打ち上げ地の大隅半島にちなんで「おおすみ」と名付けられ、2003年8月15日まで地球周回軌道を飛び続けていました。 (2004.3.23発行) |
2005年10月16日から21日までの6日間、福岡市内において開催される「国際宇宙会議」開催を記念した切手。「非軍事・平和目的の宇宙開発利用の促進」をテーマに、世界50カ国以上の人々が国境・性別・年齢等を超えて、宇宙開発に関する様々な分野の最新研究成果の報告や情報交換などを行います。 2面連刷で、左は運輸多目的衛星の「ひまわり6号」、そして右はひまわり6号を打ち上げたH-IIA7号機です。打ち上げは2005年2月26日。一年も経たないうちに切手になってしまいました。 他に面白いことと言えば、左右の余白に大会のシンボルマークが印刷されています。もう一つ、最下部の余白に刷られている印刷所。昔は「大蔵省印刷局(現在の財務省印刷局)」一辺倒だったのですが、最近は民間に発注されるようになりました。最初はふるさと切手の類だけだと思っていたのですが、いつの間にか公社本社が発行する切手もそうなってしまったようです。 (2005.10.3発行) |