ハレー彗星の描かれた大皿。手前の模様がハレー彗星。2002年3月の明石市立天文科学館での一般公開時に撮影。 |
2001年10月に兵庫県姫路市で開催された日本天文学会で、ハレー彗星の描かれた九谷焼の大皿が見つかったことが発表されました。
この皿は神戸市西区在住の家馬康彰さんが所蔵していたもので、直径が39cm。この裏面に彗星状の珍しい模様が2ヶ所描かれていました。長年この模様に疑問を持っていた家馬さんが、明石市立天文科学館へこの皿を持ち込み、調査が始まりました。
石川県立美術館の協力などで、絵皿の制作年代は1830(天保元)年から1837(天保8)年に絞られ、この期間の彗星の記録から、1835(天保6)年のハレー彗星が有力と考えられました。加賀藩にも観測記録が残されていたことから、同じ藩内の九谷焼の絵師も十分目撃した可能性があります。当時のヨーロッパの記録から、彗星の形状も絵皿のものに似ていたことも分かり、絵皿の絵はハレー彗星だという結論が出されました。
明石市立天文科学館学芸員の井上毅さんと国立天文台広報普及室長の渡部潤一さんによる調査結果の学会発表要旨と、神戸新聞に掲載された記事へのリンクを下に掲げておきますので、詳しくはこちらをご参照ください。
・「ハレー彗星が描かれた九谷焼の絵皿」 井上 毅(明石市立天文科学館)、渡部潤一(国立天文台)
・「九谷焼絵皿に19世紀のハレーすい星 神戸の男性所蔵」 神戸新聞2001年10月4日記事
さて、それではこのときのハレー彗星はどのように見えていたのでしょうか。井上さんの調査した加賀藩・寺西秀周の記録からは、夕方の空に尾をたなびかせて南下していく彗星の様子がうかがえます。寺西の記録をたどって、金沢城下からの様子をシュミレーションします。 この回帰のハレー彗星は1835年11月15日(グレゴリオ暦、以下同じ)近日点を通過し、その約1ヶ月前の10月13日に地球と0.187AU(天文単位)まで接近しました。このころの光度は0等級で、寺西の記録でも雲を通して短い尾が見えていたことが分かります。位置は北斗七星の辺りですから、夜遅くでも地平線の近くに見えていたかもしれません。。 |
下の図では加賀藩金沢城下での1835年10月のハレー彗星の見え方を示しています。加賀藩での記録の初見である10月11日から29日まで、2日おきの位置をプロットしています。背景の星空は期間の半ばの10月17日の薄明終了時(18:42)の状態です。画像作成には「ステラナビゲーターVer.5」(AstroArts)を使用しました。 |