経度を測るときの基準がイギリスのグリニッジ天文台を通る子午線に置かれているのはよく知られています。時刻の場合も、本初子午線上の時刻を世界の標準時として使用するよう取り決められています。
かつてはそれぞれの地域で、太陽が南中する時間を正午とする地方時を用いていました。江戸時代の頃はそれでも不便はなかったのですが、やがて明治の世になると遠距離間での鉄道や電信など高速の輸送・通信手段が発達するようになりました。
例えば大阪・東京間では緯度にして約5度、時間にして20分の時差があります。東京を出発した汽車が大阪に着くと、車内の時計が駅より20分進んでいる計算になってしまいます※1。そんなわけで、各地でバラバラの時刻を用いているのはいかにも不便になりました。そのため一定の地域ごとに標準時を定めて、その地域内では同じ時刻を採用するようになったのです。
日本では1886(明治19)年に、世界時に9時間加えた時刻となる東経135度子午線上の時刻を自国の標準時として定めました。その時の勅令を以下に示しておきます。
明治十九年勅令第五十一号(本初子午線経度計算方及標準時ノ件) (明治十九年七月十三日勅令第五十一号) 一英国グリニツチ天文台子午儀ノ中心ヲ経過スル子午線ヲ以テ経度ノ本初子午線トス 一経度ハ本初子午線ヨリ起算シ東西各百八十度ニ至リ東経ヲ正トシ西経ヲ負トス 一明治二十一年一月一日ヨリ東経百三十五度ノ子午線ノ時ヲ以テ本邦一般ノ標準時ト定ム |
最初の1項でグリニッジを本初子午線として定義し、次の1項で東経・西経の定義を行っています。そして最後の1項で1888(明治21)年より東経135度子午線を日本標準時子午線と定めています。この東経135度線が明石市を通っていることから、明石は「時のまち」として知られるようになったわけです。
さて、明石の地方時を日本の標準時と定めたわけですから、厳密には、他の地域の地方ごとの時刻(地方平時)と日本標準時の間には若干の時差があります。明石より東では標準時より早く、西では標準時より遅くなり、東経145度の北海道根室市と東経130度の福岡市ではほぼ1時間の時差があります。
※1 日本で東海道本線が全通したのは、日本標準時が制定された翌年の1889(明治22)年ですので、幸いにもそんなことは起こりませんでした。もっとも鉄道発祥の地、イギリスでは既にこのことが問題となり、かの地の標準時制定のきっかけとなりました。
初期状態では日本標準時子午線の施行された1886年1月1日正午の明石の空を示しています。 各地のボタンをクリックするごとに、同じ時刻でのそれぞれの街での空を表示します。東の地域ほど、太陽が先に進んでいることが分かります。 |
明石の正午を表示したとき、太陽が子午線より若干東側に表示されています。
実は太陽を基準にした1日の長さは、地球が楕円形の軌道を公転していることと、自転軸が23.4度傾いていることにより、1年を通じて少しずつ伸び縮みしています。これでは不便なので、普段は「平均太陽日」といって、伸び縮みをならした一定の長さの1日を使っています。
もともとの太陽基準の1日をもとにした時刻(真太陽時)と平均太陽日をもとにした時刻(平均太陽時)の間にはズレが生じるのですが、1月上旬は、真太陽時の進み方が平均太陽時より遅くなっているため、太陽の南中が遅くなっています。