塩屋天体観測所東経135度子午線を訪ねて子午線道中膝栗毛
前のページへ戻る

遙かなり友ヶ島 (四)

(2005年2月27日訪問/2005年3月28日記)

加太に到着

加太駅に到着した南海電車 木造の加太駅舎
終着駅「加太」 白ペンキ塗り木造の小さな駅舎

 2005年2月27日朝、和歌山発。

 南海和歌山市駅から、南海加太線に乗車25分。終点の加太駅に到着です。

 日曜の朝早くで、終点まで乗り通したのは私を含めて2人だけ。改札では女性の駅員さんがにこやかに迎えてくれました。

 小さな漁港だとばかり思っていたのですが、加太の街は歴史が古いのです。古くは大和朝廷の都から、淡路島を経由して四国へ続く南海道の拠点でした。現代では明石海峡から渡るのが淡路島の玄関口になっていますが、この加太から淡路島へ続く海上ルートが古代の官道だったのです。淡島神社なんていかにも由緒ありげな神社もあります。境内、古人形がずらりと並んで、ちょっと怖いくらいのところです。

加太から望む友ヶ島全景

 加太まで来ると、友ヶ島は目の前です。神戸から陽炎越しに望んでいたのがうそのよう。

 中央右の背の低い島が「地ノ島」、左側の森深く背の高い山が「沖の島」。沖の島に寄り添うように「虎島」「神島」の小さな島があり、この4島を総称して「友ヶ島」と呼んでいます。写真左、霧の向こうにかすかに見えるは淡路島。紀淡海峡、又の名を友ヶ島水道、大阪湾から太平洋へ抜ける交通の要衝でもあります。

渡船乗り場の看板 汽船「ともがしま」号
とっても手作りな渡船の看板 汽船「ともがしま」号、小さいながらきれいな船

 友ヶ島への定期便は、日本国内では加太港からしか運航されていません。その名も「ともがしま」号の高速船は、総トン数19トン(て書いてありましたが、もう少し大きいような気がします)。乗客が私一人だったらどうしようかと思っていたのですが、山登り(島なのに!)の団体さんも来られて、意外ににぎやかです。

そして出港

 2月27日9:20、定刻通りに、加太港出港です。

 港を出た船は針路を北にとり、加太ノ瀬戸を抜けていきます。

汽船「ともがしま」の航跡 間もなく野奈浦桟橋
紀淡海峡に延びる航跡 目指すは沖ノ島・野奈浦桟橋

 海原に延びる航跡を見るにつけ、なんで私はこんなところまで来てしまったのかという思いが、ふと頭をよぎります。

 そんな感慨に浸る私を後目に、友ヶ島水道では小さな漁船の群がいっせいに操業しています。遠目には海面に群がるかもめみたいに見えます。

 そうこうしているうちに、「ともがしま」号は地ノ島を通過。虎島、そして神島を横目に、最終寄港地、沖ノ島の野奈浦桟橋が見えてきました。

(三)へ戻る遙かなり友ヶ島(五)へ続く>

(2005年2月27日訪問/2005年3月28日記)

塩屋天体観測所東経135度子午線を訪ねて子午線道中膝栗毛
このページの先頭へ戻る前のページへ戻る