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子午線標識建立100周年記念式典
2010年10月30日

 兵庫県明石郡に最初の子午線標識「大日本中央標準時通過地識標(明石市)(神戸市西区)」が建てられたのは1910年10月30日のこと。2010年10月30日で100周年を迎え、明石市では記念式典が行われました。

 2010年は5月に天文科学館のリニューアルオープンがあり、6月10日には天文科学館が開館50周年を迎えています。「時のまち」明石にとっては、いろいろな節目の年です。

 今回の式典、もともとは「大日本中央標準時通過地識標」のすぐ側の「人丸花壇」駐車場で挙行される予定でした。ところが季節外れの台風が接近。前日から悪天候が予想され、天文科学館のプラネタリウムドームに会場を移しての開催となりました。

プラネタリウムドームへ

 一般参加も可能とのことで、式典に参加してきました。受付では館のパンフレットと広報誌「Wide View」の「子午線のまち明石」特集号、そしてポストカードのセットを頂きました。


 投影機の脇にステージが設けられて、ここで式典が行われます。ステージ正面の投影機北側には背広にネクタイ姿の関係者や来賓の方々。そして投影機北西側には一般参加の人々が着席します。参加者は神戸新聞によると約60人、毎日新聞によると約80人とのこと。

式典

 村松克行副市長と、明石市観光協会の小谷泰朗会長から、子午線標識100年記念に際してのあいさつ。

 続いて、今回の標識建立100周年に際して採られた、「大日本中央標準時通過地識標」の拓本が披露されました。拓本を掲げるのは天文科学館の澤井康樹館長。来歴を説明するのは明石市議会の出雲晶三副議長。


 続いて明石観光大使「時のプリンス・時のプリンセス」のお披露目と任命式。この10月に決定されたばかりのお二人です。

 任命したその場で初仕事が始まるという明石市の人使いのすばらしさ。天文科学館は2010年9月に国の登録有形文化財に指定されたのですが、その指定書と登録プレートが副市長から観光大使に渡されます。式典の後で、さっそく天文科学館の玄関脇に取り付けたそうです。


 最後は「明石・時感動推進会議」のメンバーがのぼりを持って登場し、全員で「えいえいおー」ならぬ、「いち、さん、ごー」の鬨の声を上げて終了しました。

 聞くところによると、この掛け声は館長の発案だそうです。なんかもうあまりのベタベタさではあるのですが、参加者一同ノリがよく、拳を突き上げ、「いち、さん、ごー」の大声がドームの中にこだましました。


特別投影2つ

特別投影「子午線標識100年の歴史」

 この日最初のプラネタリウムは井上学芸員による特別投影「子午線標識100年の歴史」。

 そういえば子午線にまつわる人々のお話もありました。稲垣足穂とか松本零士とか。子午線標識が建ってから天文科学館が建つまでの50年の歩みを中心とした解説、とても面白かったです。

キッズプラネタリウム軌道星隊シゴセンジャー「しごせん100年のれきし」

 シゴセンジャーには先ほど任命されたばかりの明石観光大使のお二人も登場。

 初日の仕事が、こんなアドリブ満載のプラネタリウム投影って……がんばれ時のプリンス・プリンセス。

 ブラック星博士は、登録有形文化財の登録プレートの強奪を計りましたが、クイズアタック一撃であっさりと撃破されました。哀れ。

 その後、一階のロビーで撮影大会になっていましたが、今回はシゴセンジャーの二人に明石観光大使を加えたカルテット。ブラック星博士は行き場をなくした模様です。


そして100歳を迎えた子午線標識

 記念式典の会場がプラネタリウムドームへ移ってしまったので、実はこの日、まだ100歳を迎えた当の「大日本中央標準時子午線通過地識標」を見ていません。

 というわけで、この日集まった星の友の会のメンバーでお祝いに出かけました。

 まずは天文科学館の漏刻前で、館長さんとシゴセンジャーのお二人と交えて記念撮影。ブラック星博士はパペットでの登場。

 そしてこちらが「大日本中央標準時子午線通過地識標」。明石市と神戸市西区の2ヶ所あるうち、明石市の方です。

 標識の下には、地元の方が用意されたのか、100周年を祝うプランターが置かれていました。なんだかうれしいですね。

 ということで、こちらでもみんな揃って記念撮影。

 私はここで離脱しましたが、このあと星の友の会の吉野さんたちを中心に、神戸市西区のもう一つの「大日本中央標準時子午線通過地識標」へ向かわれました。

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