塩屋天体観測所プラネタリウム・天文台訪問記
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能登・穴水町〜ローウェルが訪ねた街

 2007年3月25日、能登半島を地震が襲いました。

 その一ヶ月後、震災がらみの仕事で能登へ出張することになりました。

パーシヴァル・ローウェル at 穴水

 のと鉄道の穴水駅前の観光案内版を何気なく眺めていたら、思わぬ名前に出くわしました。

 「パーシヴァル・ローウェルの記念碑!? あの火星観測のローウェルか?」

ローウェルと火星

 パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell,1855-1916)は、アメリカの天文学者。火星が地球に接近するたびに名前が出てくる有名人です。イタリアのスキャパレリの火星観測報告の中、イタリア語の"canali"(溝)が、英語では"canal"(運河)と訳されたのが誤解の始まりでした。

「運河だよ、火星人が運河をつくったんだ!」

 と言ったかどうか知りませんが、ローウェルとその一派は網の目のように運河が張り巡らされた火星図を世に問い、世界の火星観測者を巻き込んだ大論争に発展します。今でも宇宙人といえば、火星人がその代名詞的存在ですが、その端緒の一つはローウェルにあると言えます。もちろんご承知の通り、火星の「運河」は、その後の惑星探査機の観測で、明確に否定されるに至ります。でも、ローウェルの火星への情熱は、今も語りぐさになっています。

そしてローウェルと冥王星

 ローウェルが天文学史上に名前を残すのは、冥王星の存在を予測したことです。彼の存命中の発見はなりませんでしたが、彼の死後、ローウェル自身が私財を投じて建設した天文台で、トンボーによって冥王星が発見されました。1930年のことです。

 冥王星は長らく太陽系9番目の惑星として扱われてきましたが、2006年の国際天文学連合の総会で、惑星から"dwarf planet"に区分が変更されました。それでも太陽系外縁天体の意義ある最初の発見の価値は輝きを失いません。冥王星の英名"Pluto"は、ローウェルのイニシャル"P.L"にもかけて命名されています。

何故、ローウェル!?

 とにかく、ローウェルの記念碑があるというのですから、これに敬意を表さずにはいられません。

ローウェル記念碑

判読困難な文面

 キャッスル真名井という、町営の温泉兼宿泊施設の駐車場の片隅に、その記念碑はありました。表面のコーティングが劣化していて、文面を読むのは大変ですが、なんとか判読できる状態です。

能登に来たローウェル

 パーシヴァル・ローウェルのもう一つの顔。それは日本研究家としてのローウェルです。

 私は中学生の頃に読んだ藤井旭さんの『星になったチロ』でそのことを知ったのですが、ローウェルは足かけ3年日本に滞在して、数々の著作を発表しています。かの小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの日本への思いをかき立てたのもローウェルの本だったという逸話がありますから、人間どこでどうつながっているか分からないものです。

 で、そのローウェルが、1880年、思い立って能登半島への旅に出てしまったのです。やってきたのはこの穴水町。『NOTO』という旅行記も出版している熱の入れようです。

 そんなわけで、穴水にはローウェルの記念碑が建っているのでした。まさか能登で天文学者の足跡に出会うことになろうとは。

あれこれ

 カフェ・ローウェルとか、ローウェル祭とか泉花月堂銘菓「ローエル」とか、ローウェルにちなんだいろいろなものがあるのは、帰ってきてから知りました。

星空のまちの碑

実は天文台付きのキャッスル真名井

 実は穴水町、「星空のまち」も謳っていて、キャッスル真名井には天文台のドームもついています。私が訪問したときは、一時的に能登地震の避難所として使われていたのですが、2007年5月初めに避難所は解消され、2007年6月現在、営業再開へ向けて修復工事が行われています(最新情報はキャッスル真名井サイトを参照)。

 観光産業の復興のためにも、ぜひ、ローウェルの訪ねた街、穴水に足を運んでみてください。能登半島はどこの景色もきれいで、そして星空のきれいな所です。

(2007.4.29訪問/2007.6.5記 福田和昭)

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