塩屋天体観測所プラネタリウム・天文台訪問記
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大西式プラネタリウムを見てきました
(大阪市立科学館・ミニ企画展示)

大西式プラネタリウム

大西式プラネタリウム

 大西道一さんより掲示板に書き込みを頂いたのは2006年2月27日のこと。「日本で3番目のプラネタリウム」「大阪市立科学館のプラネタリウム機器のミニ企画展に展示されております」とのこと。

 そんな面白そうなもの、放っておくわけにはいきません。さっそく大阪市立科学館に出かけてまいりました。

「大西式」プラネタリウム

 大西式プラネタリウムは、1951年に完成しました。制作者の大西道一さんが高校2年の当時、天文部の仲間と制作して高校の文化祭に出品、また東亜天文学会神戸支部にも招かれて発表したものです。その後、大西さんに直接お会いする機会があり、当時の新聞記事のコピーも頂きました。

 冒頭の写真で分かるとおり、大西式プラネタリウムは、円筒状の恒星投影機と、その下部に円盤が重ねられた惑星投影棚から成っています。全体として、ツァイスI型と似たような構成です。

ピンホールの様子 惑星投影棚

ピンホールの様子

惑星投影棚
(いちばん上の円盤は失われています)

 恒星投影機はピンホール式、直径40cmのブリキ缶に5等星までの2,500個の星の穴が開けられています。左の写真ではオリオン座の穴の様子がよく分かります(天球を外側から見た状態ですから反転状態です)。ピンホール式投影機は光源と恒星原盤が離れているほどシャープな星像が得られますから、ブリキ缶の大きさも相まって、なかなかの星空だったのではないかと思われます。現在は失われていますが、当時は天の川投影機もつけられていたそうです。

 驚くべきは惑星投影棚。水金火木土の5惑星と、月・太陽の投影機が円盤にそれぞれ取り付けられています。投影機にギアはなく、投影前にその日の惑星の位置をプリセットする方式です。ちなみにツァイス・イエナの小型機ZKP-1も惑星投影機は手動のプリセットですが、ここまで気合いの入った投影棚は設けていません。

スリップリング 恒星投影用電球

電力はスリップリングを介して供給
このあたりの配慮も怠っていません

恒星投影用電球
地平線下が映らないよう覆いがついています

 木製部品を多用していることもあって、全体として和風テイストを醸し出した不思議な魅力のある投影機になっています。

 今でこそ家庭用のプラネタリウムが発売されていたり、少し前でも学研のふろくや誠文堂新光社の「切り抜く本」でプラネタリウムのキットが付いてきたりしましたが、1951年当時にそのようなものはありません。「参考になるものといったら、大阪の電気科学館のプラネタリウムしかなかった」(大西さん談)時代に、ここまで精密な投影機を作り上げたバイタリティーには感服します。

国産最古級のプラネタリウム

 ところで、日本で3番目というのはどういうことでしょう。日本初のプラネタリウムが、1937年に開館した大阪・四つ橋にあった「大阪市立電気科学館(現在の大阪市立科学館の前身)」だったことはよく知られています。2番目が翌1938年に東京・有楽町に開設された「東日天文館」。これが空襲で焼かれて、戦後しばらく、大阪のプラネタリウムが日本で唯一のものとなっていました。

国産プラネタリウム黎明期

 池谷・関彗星の発見で知られる関勉さんは、コメットハンター関勉のホームぺージを開設され、様々なエッセイを掲載されてます。その中に「東洋2番目のプラネタリウム」の制作に携わったエピソードが紹介されています。

 かいつまんで紹介すると、
 1950年に高知で開催された南国博(南国高知産業大博覧会)に出品。
 直径1mの鋳物(!)の天球にドリルで5,000個近い穴を空けたピンホール式。
 博覧会終了後も「天文館」として運営されるも、2年あまり後に閉鎖。

という経緯です。東京のツァイスII型がなくなってしまったので、関さんが携わったこのプラネタリウムが当時は日本で2番目(=東洋で2番目)のものでした。

 そして翌1951年に高砂高校で生まれた大西式プラネタリウムが、当時の日本で3番目ということになります。おそらく現存している投影機では、国産最古のプラネタリウムなのではないでしょうか。

参考文献:『地上に星空を』伊藤昌市, 裳華房(1998)
『教育のためのプラネタリウム』天文教育普及研究会プラネタリウムワーキンググループ
ほか

 日本は世界有数のプラネタリウム大国ですが、その投影機の供給は、五藤光学とコニカミノルタプラネタリウムの2社が牽引役でした。その五藤とミノルタがプラネタリウムの製造を始めるのが1950年代の後半です。それに先だって1950年代の前半に個人やグループでプラネタリウムの制作が行われていることに驚きを禁じ得ません。

 また五藤光学以外のプラネタリウムの制作が、いずれも西日本で手がけられているのも興味深いです。大阪市立電気科学館のツァイスII型の存在が、その刺激役になっていたのかもしれません。

円筒形プラネタリウムといえば

大西式プラネタリウム ミニ・プラネタリウム

大西式プラネタリウム

たのしいミニ・プラネタリウム
(勝手に復刻版)

 大西式プラネタリウムの円筒形の恒星投影機、現在の投影機では見かけないスタイルです。それでも違和感なく受け入れてしまうのは、以前誠文堂新光社から刊行されていた『切りぬく本・たのしい天体観測用具』のミニ・プラネタリウムになじんでいるからかもしれません。

 この『切りぬく本・たのしい天体観測用具』の著者は和歌山天文館で金子式プラネタリウムの投影をされていた高城武夫さん。

 高城さんは和歌山に移る前、1937年から1952年まで大阪市立電気科学館の天文部の職にありました。ということは、おそらく高砂高校の大西式プラネタリウムのことも、ご存じだったと思います。『切りぬく本・たのしい天体観測用具』の刊行は1979年ですが、もしかしたらその形状のルーツは、ここにあったのかもしれません。

補足

 大阪市立科学館での展示は2006年5月末ごろまでの予定とのこと。正式なアナウンスを確認したわけではないので、正確な時期は同館へご確認されることをお勧めします。

 展示は地下1階のインフォメーションで、入場券なしでも見学できる場所です。同じフロアのプラネタリウムエントランスにはツァイスII型投影機も保存してあります。

 

(2006.4.1訪問/2006.4.2記 福田和昭)

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