塩屋天体観測所|東経135度子午線を訪ねて|子午線道中膝栗毛
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2001年8月15日。
神戸市内に戻り自転車の修理を終え、再び電車で氷上町まで戻ってきた。丸一日予定が狂ってしまったが、仕方がない。昨日と同じ地点まで戻って、再出発を切った。
氷上町にあるもう一つの子午線標識を目指して、県道78号線を西へゆく。今度は地図通りに、御影石でつくられたモニュメントを発見。やれやれと思っていると、その西側にも、昨日さんざん探し回らされたのと同じ形の子午線標識が数十m離れて建っていた。
南北に並んでいるならともかく、東西に離れて同じ経度の子午線標識が建っているなんて、いったいどういうつもりなんだろう。恐るべし氷上町。
明石からつかず離れずたどってきた国道175号線は、氷上の水分れから川に沿って日本海沿いに下っていく。青垣町へのお供は県道7号線。これまた一緒にたどってきた加古川も、すっかり川幅が狭くなって、視界に入る山並みもずいぶん近くに迫ってきた。
青垣町は加古川の源流域なのだ。
ずっと瀬戸内海流域を北上してきた子午線も、この青垣町の先からは、日本海側へ突入することになる。水の立場から見れば分水嶺……道路で言えば、初めての峠越えだ。
青垣町の次は、兵庫県を離れて京都府夜久野町。
ところが青垣と夜久野の町界には峻険な山並みが立ちふさがり、直接抜けられる道路がない。標高370mの遠坂峠を越えていったん山東町へ出るか、あるいは標高270mの榎峠を越えて福知山市を迂回して夜久野に入るしかない。
国道429号榎峠 |
結局選んだのは榎峠。標高が低いこともあるが、実はもっと大きな理由がある。福知山市の西端は子午線からわずか数百m東の位置に近接していて、世界測地系に移行した場合、新たな子午線が通過する可能性があるからだ。未来の「子午線のまち」候補を通過するのも悪くない。もっとも子午線がかするのは山の稜線なので、登山者でないと行きようのない場所なのだけど。
国道429号榎峠は、一車線しかない旧道で、勾配が緩やかな代わりにカーブだらけの道が延々と続いていく。古い峠にたまにある道で、自動車の性能が低かった時代、登り坂でエンジントラブルを起こさないよう、距離よりも勾配を押さえることを優先して建設した道路なのだ。そのかわり、自転車でもゆっくり楽に登れる道になっている。現在ならばもっと急勾配にして距離を短くするか、あるいはトンネルで山をぶち抜いてしまうだろう。
ついに京都府に入る |
京都府福知山市に到達。いよいよ県境を越えた。
福知山といえば丹波有数の城下町。明智光秀が築いた城跡には近年天守閣が復元されたのだが、今回はパス。峠から市街地まで10km以上もあり、その途中に夜久野への近道がある。この県道の無名の峠を越えて、視界の開けた谷底に走るのは国道9号線……山陰道だ。
この辺りの国道9号は2車線の道路だが、古くから開けた道だけあって、どこかしら風格が漂っている。
走りゆく車も、荷物を満載したトラックが多い。痩せたりとはいえ、やはり昔からの大動脈なのだ。ただ、路肩が狭いので自転車を走らせるには難渋する。しかも陽が照りつけて暑いことこの上ない。人気のなさそうな家の軒先を見つけて、ひとまず水分補給しながら小休止する。
福知山から夜久野町へは緩やかな上りが続く。京都側からすれば、夜久野町は山陰道の最後の京都府下の町で、この先、峠を越えると兵庫県に入ってしまうのだ。流れる水も、夜久野は福知山から由良川に入り、若狭湾へそそぎ込むが、峠の先は円山川となって城崎から日本海へそそぎ込む。実はちょうどこの辺りが、丹後半島から続く脊梁山脈が、日本中央分水嶺と合流する場所になっている。京都府から見ても、兵庫県から見ても辺境といった場所で、まことに山深そうな印象を受けるのだが、意外にものびやかに水田が広がり、気持ちのよい景色が広がっている。
夜久野町役場前には赤御影石の標識が建っていた。
夜久野町は「時の町」をキャッチフレーズにしていて、町営バスのバス停や集落排水のマンホールも、町の子午線標識をモチーフにしたデザインのものを用いている。
ここらで昼飯を食べようと思ったが、役場のまわりには、お盆休みのせいか空いている食堂が一軒もない。地図を見ると隣の集落まではだいぶ距離があるし、そちらに食堂があるという保証はない。ゆっくりご飯を食べたかったが、仕方がないのでJRの駅に併設されているスーパーで、菓子パンを買い、かじって空腹を満たした。
夜久野町の北は再び兵庫県に入り、但東町となる。分水嶺に沿って、複雑に県境も入り組んでいるわけだ。
但東町へは天谷峠(標高350m)と小坂峠(標高380m)の2つの路程がある。天谷峠の方が山が低く、但東町市街への距離も近いのだが、子午線に近いのは小坂峠の道。峠を降りたところで子午線を横切り、さらに但東町内で国道426号線に合流した後、もう一度子午線を通過する。
ここまで子午線にこだわって走ってきた以上、ここは少々遠回りでも小坂峠を目指すしかない。
とにかく平らな場所がなく、また雲もほとんどない好天のため、汗が出てたまらない。ビシャビシャになったシャツを干して休憩を取りながら、長い坂を登っていく。下りは一転、時には50km/hを越えるスピードとなり、ブレーキレバーに手を掛けたまま谷底に滑り降りる繰り返し。
但東町栗尾の標識 |
谷底の標高は約190m。約200mをあっという間にかけ下って、国道426号線に出る。ここから役場のある出会という地区まではなだらかな下り道。勾配に任せてのんびり走っていると、道路の両脇に黄色い木柱が建っているのが目に入った。
「ん!?」と思って足を止めると、木柱に何やら文字が書かれている。
「東経一三五度通過地点」
なんと、これが子午線標識だった。事前の下調べでは引っかかっていなかったものだけに、掘り出し物を見つけた気分。素朴な雰囲気からして、地区の人々が自分たちで建てたのではないだろうかと思われる。ちょこんと乗った風見鶏風の飾りも愛らしい。
ええんちゃう、こんなのも。
但東町の真ん中にそびえる郷路山は標高620m。アマチュア無線家には知られた山らしいのだが、この山を貫く林道上を、子午線が通過している。林道の愛称も「子午線クロスライン」。WWWで検索したら、この林道上に子午線標識があるらしいという情報をキャッチした。ほんまかいなとも思うのだが、これは行かないわけにはいかない。
意気込んで登り始めたはいいものの、さすがに林道だけあって、急坂ですぐに足はフラフラ。何せ今日は既に3つも峠越えをしているのだ。結局、半分近くは自転車を押しながら、えっちらおっちら登りゆき、陽も西に傾いたころ道路の側に立つ石積みのケルンを発見。
これが標高482mの日本最高所の子午線標識だった。写真を撮ろうと自転車を降りたら、気が抜けたのか思わず道路にへたり込んでしまった。
林道を下って、ここまで来る途中に見つけておいた町営の温泉に飛び込んだ。
一日走ってつかる温泉ほど気持ちのよいものはない。
飯もまともに食べた。う〜ん幸せ。せめて夕飯くらい奮発しないと、このあとが大変だ。そう、野宿する場所を探さなければならないのだ。
もっとも野宿といっても、夏だし、田舎なのでそんなに苦労することはない。ただあまり地元の人の通行が多い場所だと、不審に思わかねないので……というか不審者以外の何者でもないだろうから、多少の気は使う。みんな寝静まった時間帯になれば、それほど気にはならないのだが、なにせテレビも何もない夕方というのは、時間を持て余して仕方がない。
そんなことを考えながら夜道を走っていると、道脇の川に、何やら赤い星が瞬いているのに気が付いた。
「星!?……まさか」
と思って空を見上げると、見渡す限りの星空。川面に映っていたのは、先日地球に接近したばかりの火星の姿だったのだ。さそりやいての星々がまばゆいばかりに輝き、天の川が空を割って伸びている。
これはもうけものだ。
最初は屋根のある場所で寝ようと思っていたのだが、予定変更。天気が崩れる気配もないし、これはシートだけ敷いて、星空の下での野宿としゃれ込もう。
そうくれば宿泊場所の基準も変更だ。まわりに街灯のない、開けた場所。星を見に来たのか、体を休めに寝ようとしているのか、だんだん分からなくなってきたが、道路の脇に砂利の広場を見つけ、そこに寝ころんで星を見ていた。視界も良好。持ってきた6cm屈折で、星雲・星団を渡り歩く。星図を持ってこなかったのが、ほんとに残念。地上の地図はしっかり持っているのだが、星空めぐりには何の役にも立たない。
そのうちシートの上で、上着をおっかぶって眠りについてしまった。
(2001年8月15日訪問)