尼崎運河クルージング2005
Part III

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工場地帯の核心をゆく

 

 尼崎閘門から、ふたたび内水路へ。今度は蓬川をさかのぼります。

工場直づけの貨物船。 防潮堤の上に鋼線巻きが見えています。

 西岸に見えるは神鋼鋼線工業(すごい、一発で変換できた)。名前の通り神戸製鋼の子会社で、鋼線、つまりワイヤーロープをつくっています。明石海峡大橋のハンガーロープもここでつくったのだそうです。実は神戸製鋼、神戸製鋼という名前なのに、発祥の地は尼崎のこの工場なのだそうです。なんとも奥の深い尼崎です。

明石船籍・第三十六俊栄丸。 やたらと高い櫓が付いています。

 工場地帯を支える船もいくつか見かけましたが、とりあえずこの一隻。なぜか明石船籍のタグボートです。出稼ぎに来ているのでしょうか。

ノコギリ屋根の古河電工。 北側の垂直面が採光窓になっています。

 昔懐かし、ノコギリ屋根の工場は古河電工。最近はこのような、いかにも工場といった風情の建物は減ってしまいました。尼崎の工業群も、製造部門は次第に他の地域に移転し、臨海部の再開発が進んでいるそうです。

 ツタに覆われた工場。これが石積みの建物だったら、宮崎駿の映画にでも出てきそうです。

北堀運河の出合い橋

 おっと、古河電工の工場の前に、少し寄り道をしたのでした。その名も「北堀運河」。尼崎に数ある運河の一つです。

コンクリート打ちっ放しの南側護岸。 タイル張り風に改修された北側護岸。

 工場地帯は意外に緑が豊かです。公害問題が深刻化した後、工場の周りには緑地帯を設けるようになったのだとか。最近だったら公園風になるのでしょうが、なにせ尼崎は歴史が古いだけに、ほとんど薮と化しています。

 ついでに物資の運搬路としての役割を終えつつある運河の周りは、遊歩道などの整備が盛んに行われています。デートコース……には使いにくいと思うのですが、産業遺産の散歩にはもってこいかもしれません。

兵庫県のパラボラアンテナ。 兵庫県御用船「さちかぜ」。

 右手の建物に兵庫県の名前が入ったパラボラアンテナが立っていました。その足元の運河には、兵庫県の御用船「さちかぜ」が係留されていました。あとで調べたら観測測量船だそうです。

ここでも豪快な橋くぐり。 護岸の遊歩道を眺めながら運河を行きます。

 やがて正面に大きな鳥かご状のモニュメントが見えてきます。「出合い橋」です。北堀運河と中堀運河の合流点にかかっていて、鳥かご状のものは工業地帯をイメージしたモニュメントなのだとか。

何やら見えてきた鳥かご状のもの。 「出合い橋」だそうです。
倍率ドン。 さらに倍。

 高圧線が背景に入りまくっていますが、これも工業地帯ならでは。最近は工場も少なくなっているので、この高圧線や鉄塔群もやがては撤去される運命ではないかとのことです。

橋くぐりまくり

正面に近づいた出合い橋。 それ、くぐれー!!

 ここから先は、ふたたび蓬川をさかのぼります。やがて正面に見えてくる阪神高速道路3号神戸線、そしてその下を国道43号線。尼崎にとっては公害訴訟で重い爪痕を残した交通の要衝です。

 で、我らがあやしいクルーズ隊は、この国道43号線をくぐってしまおうというのですから大変です。

上の高架が阪神高速、低い橋が国道43号。 迫り来る国道43号線。
うおっ、低い! いざ、潜行……潜りませんけど。
まだまだ橋の下。 難所を抜けてほっと一息のクルーたち。

 なんと、幅が50mもあるそうなのです。この国道43号線。路上は耳をつんざく走行音ですが、橋の下は意外にも、信じられないくらい静かな空間が広がっていました。

まだまだ低い橋をくぐります。 阪神電車の高架もくぐります。
最後の難関。 出張ったフックは何のため?
答えはクルーズに参加したときにでも。

そして終着点

 90分のクルーズは、あっという間に過ぎてしまいました。

 さて、我らがクルーズ隊、いよいよ終着です。

ここが終着地点だというのですが…… まさか、これっすか?
そのまさかでした。 ハシゴを伝って上陸です。
お疲れさまでした。

 ていうか、ここですか、上陸地点は。なんとハシゴを伝って、公園に上陸です。最後の最後までやってくれます。周りを歩いている人がこっちを見てます。こっちのが人数多いのに、なんか恥ずかしい(^_^)。

 日本の表玄関の神戸港と違って、尼崎は日本産業の発展を支えた、土間であり、台所であり、そんな臨海地帯です。華やかさはありませんが、かめばかむほど味のある、とっても面白いエリアです。

 何気なく見ている工場の群れが、案内が付くだけで、まるで違った景色に色づきます。尼崎がこんなに見所満載のエリアだったなんて、思いもよらぬ収穫一杯のクルージングでした。

 運営クルーのみなさん、ありがとうございました。

おしまい

(2005.5.15 福田和昭 記)