塩屋天体観測所|プラネタリウム・天文台訪問記
前のページへ戻る
(2006.10.7訪問/2007.7.12記)
「ふじ」の艦首にひるがえる白瀬南極探検隊の旗。南十字星をかたどったデザインです。
「ふじ」の2階(01甲板)の後部は、かつてヘリコプターの格納庫でした。現在は改装されて「南極の博物館」になっています。
日本最初の雪上車KC20-3S |
こちらはスノーモービル |
KC20-3S雪上車・後ろから |
2トン積み木製そり |
乗り物系を押さえるのは男子の基本。まずは日本最初の雪上車、小松製作所KC20-3S。車体番号はトップナンバー「1」。「宗谷」に積まれて第1次〜第5次隊で活躍した歴史的車両です。
スノーモービルはヤマハ製。あまり古さを感じさせないデザインです。
そりは比較的新しいもので、1990年代に使われていたもの。犬ぞりではなく、雪上車にひかれて物資の運搬に活躍しました。
白瀬矗の旅券 |
南極限定免許証 |
白瀬矗にまつわる品物もいろいろ展示してあります。左写真は白瀬矗の旅券と、彼宛に寄せられた電報。
戦後の観測隊の小物もいろいろあって、中には「運転免許証」まであります。昭和基地にも公安委員会があったのか! ていうかパソコンもワープロも無い時代に、よくこんな凝った小物をつくったものです。
カンベル式日時計と記録紙 |
記録紙拡大 |
星見人注目のカンベル式日時計。奥の水晶玉みたいなガラス球のまわりに記録紙をセットすると、ガラス球で屈折した太陽光が記録紙上に焦点を結び、紙を焦がして太陽の軌跡を残します。
原始的なれども、とっても合理的。でも白夜になったら記録紙が上下まっぷたつにならないのか、ちょっと心配。
シコルスキーS-61A |
前方は格納庫(南極の博物館) |
「ふじ」は、シコルスキーS-61A(輸送用ヘリ)2機と、ベル47G-2A(観測用ヘリ)1機を積んでいました。「宗谷」の経験でヘリによる物資輸送の重要性が分かったので、「ふじ」は最初からヘリの運用を重視した設計になっています。
飛行甲板に描かれたパターンは護衛艦とほとんど一緒です。海上自衛隊の船だから当たり前か。
所属は海上自衛隊ですが |
こんな愛らしいマーキングです |
展示されているシコルスキーS-61Aは、後継の「しらせ」にも積まれている息の長い機種です。ちなみに「しらせ」の観測用ヘリはOH-6Dになりました。
ブリッジの内部 |
操舵輪 |
ブリッジも見学できます。
操舵輪は「しらせ」のものより一回り大きめ。革か籐か、滑り止めに巻いてあります。
エンジン出力の調整だったと思う |
古めかしいレーダー |
近年の船には必須のGPSも、「ふじ」が活躍していた時代にはありません。とってもアナログな機器類が並んでいます。
副長席 |
艦長席 |
副長の椅子は左舷側、艦長の椅子は右舷側にあります。
コンパスか? |
お約束の双眼鏡 |
コンパスらしきものは、保護のためか、上面までペンキが塗られていました。
双眼鏡は東京光学機械(トプコン)製。1965年3月製。たぶん口径12cm。
搬入口 |
クレーン |
最大の任務は昭和基地への補給ですから、貨物の扱いが大切です。艦首部分の貨物室搬入口と荷役用クレーン。
ファンネルもアラートオレンジ |
救命ボートもアラートオレンジ |
船体がアラートオレンジなら、ファンネル(煙突)もアラートオレンジ、救命ボートもアラートオレンジです。ファンネルのてっぺんを黒帯で締めるのが海上自衛隊式なのでしょうか。
階段の途中に展示してあった観測機器とジャイロコンパス。極地域では磁気コンパスは大きくずれるので、ジャイロコンパスは大切な航海用具だったに違いありません。
砕氷を行うときなど、見通しが必要なときに使われる上部指揮所。ここから操舵もできます。登るのは梯子。
船首に立つ大きなアンテナも「ふじ」の特徴です。
上から見る「ふじ」。ヘリ甲板が広い |
船名「ふじ」 |
砕氷船なので氷割り用の斧のような船首 |
今からでも動き出せそうです |
1965年から18年間、日本と南極を往復し続けた「ふじ」は、1983年2月昭和基地出航〜4月20日晴海埠頭着の航海をもって、南極観測業務の任を解かれました。
1985年に名古屋港ガーデンふ頭に永久係留され、現在も南極の博物館として余生を送っています。
名古屋に足をお運びの際は、ぜひ立ち寄ってみてください。
名古屋市科学館の「ふじ」模型 |
タイムスリップグリコの「ふじ」 |
名古屋市科学館にも「ふじ」の模型が展示してあります。
またグリコの食玩「タイムスリップグリコ」シリーズにも、南極観測船「ふじ」が登場していたのでした。
(2006.10.7訪問/2007.7.12記)