塩屋天体観測所|プラネタリウム・天文台訪問記
前のページへ戻る
岡山天体物理観測所の188cm反射望遠鏡に代わって、日本最大の天体望遠鏡となったのが、兵庫県立西はりま天文台のなゆた望遠鏡です(2006年現在)。なゆた望遠鏡のすごいところは、ただ大きいだけでなく、それを使って毎日、観望会を行っていることです。公開されている天体望遠鏡としては、世界最大の大きさです。
そんな西はりま天文台に、2006年5月と2007年2月の2度、足を運びました。
なゆたが納められている天文台南館 |
西はりま天文台がオープンしたのは1990年のこと。当時は現在の天文台北館にある60cm反射望遠鏡が、メインの望遠鏡でした。
当時は口径60cmといえば大きめの部類の望遠鏡だったのですが、その後、口径1mクラスの望遠鏡を備えた公開天文台があちこちに完成していきます。
実は西はりま天文台の開館直後から、次世代の大型望遠鏡の構想が練られていて、1994年末には兵庫県議会で予算案の検討が進められるところまで行っていたのだそうです。
が、1995年1月17日、阪神・淡路大震災発生。
兵庫県に予算の余裕はなくなり、計画は大幅に遅れることになりました。2m望遠鏡のプロジェクトが正式に認められるのは2001年。それから3年後の2004年に2m望遠鏡が完成し、一般公募で「なゆた望遠鏡」という愛称も決定しました。ちなみに「なゆた(那由他)」はサンスクリット語で10の60乗(1,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000)のことだそうです。
1Fロビー・パソコンはiMac |
スタディルームで観望会の事前説明 |
天文台南館の1階はロビーになっていて、壁のあちこちに「なゆた」の観測成果を解説したポスターが掛けられています。iMacが3台並んでいて、Webサイトの閲覧と、天文にまつわるクイズに挑戦できます。
1階にはスタディルームもあって、こちらでは講演会が行われたり、観望会の事前説明に使われたりしています。
迫力のある「那由他」 |
観測室の扉 |
なゆた望遠鏡は、昼間は自由に見学することが出来ます。しかもドームの中まで入ることが出来ます。なんて太っ腹なのでしょう!
階段もしくはエレベーターで3階に上がると、そこはもう、宇宙への扉です。
どことなく「すばる」に似た風貌 |
実はメイドインアマガサキでした |
最重要備品のうわさもある「てるてる坊主」 |
液体窒素を注ぎ込まれる観測装置(これは夜) |
ドームの中は冬でも冷房が効いていて、とっても寒くなっています。これは望遠鏡の光学系を、夜の外気温になじみやすくするため。昼間に望遠鏡が暖まってしまうと、肝心の観測時に、主鏡からかげろうが立ち上ってしまうのです。
潜水艦の潜望鏡のような接眼部 |
ナグラーの毒キノコじゃないですか |
なゆた望遠鏡のなゆたたる由縁が、この接眼部です。ループ状のパイプと4本の取っ手が突き出た姿は、まるで潜水艦の潜望鏡のようです。ナスミス焦点からさらに2度折り返して、ドームの床面近くに覗き口を持ってきています。接眼部の高さは調節できるので、子どもや車椅子の利用者に高さを合わせることも出来るようです。
接眼レンズはナグラータイプ5の31mmが付いていました。接眼部のあるナスミス焦点2はF5の設計です。アマチュア用の望遠鏡なら短焦点反射の部類ですが、主鏡が2mですから、焦点距離が10mあることになります。31mmの接眼レンズを付けても、倍率は322倍。恐るべし。
私はこのなゆたで、月と土星とM13(ヘルクレス座の球状星団)とM42(オリオン大星雲)を観たことがあります。
平日の夜などは、人数も少ないのでリクエストに応えながら10くらいの天体を見ることも出来るそうです。そんな日に泊まってみたいものです。
円筒形のドームも「すばる」風 |
3階テラス。右側のベンチは、実は直径2m |
円筒形のドームもすばる風。ただし、なゆたには望遠鏡の両脇にそびえるグレートウォールはありません。
ドームからは3階屋上のテラスに出ることが出来ます。北〜東〜南の空を見渡すことができ、スタッフの方による星座解説も行われます。丸いベンチの直径は、なにげに2m。なゆたの主鏡の大きさに合わせてあります。
この床の扉はなんだ? |
上には怪しげなクレーンが |
床下にも扉があるぞ |
真下には謎の×印 |
岡山天体物理観測所にも主鏡の搬入口があったのですが、なゆたにもありました。
2m鏡搬入の一部始終は、森本おじさんのサイトのサボテン話のコーナーに載っています。
展示されている模型は黒田公園長お手製 |
玄関マットもなゆた |
天文台南館の玄関は、こんなんでした。
(2006.5.3,2007.2.24-25訪問/2007.3.2記 福田和昭)