塩屋天体観測所プラネタリウム・天文台訪問記
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南極観測船「宗谷」(1)

(2004.9.1,2007.1.3訪問/2007.11.17記)

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南極観測船「宗谷」
総トン数:2,722.4t
全長:83.7m、幅:12.8(15.8)m
速力:12.5ノット
装備等:ヘリコプター4機、小型飛行機1機搭載
定員:140名、就航:1938年
※データは第3次南極観測時(1958)のもの

南極観測船「宗谷」

 1956年、戦後日本初の南極観測に向かった船が「宗谷」です。東京・お台場の「船の科学館」前に係留・一般公開されている姿を見ると、あまりの小ささに驚きます。この船で本当に南極まで行ったのか、と。

「宗谷」略史〜南極まで

 後の南極観測船「ふじ」「しらせ」は最初から南極行きの砕氷艦として建造されました。でも「宗谷」はもともと、貨物船となる船だったのです。

 40年に渡る生涯の中で、南極観測に従事したのは6年間。この時点で船齢20年を越えていますから、そろそろ引退してもよさそうなものを、さらに巡視船として16年も働くのですから、戦前・戦中・戦後を生き抜いた昭和の証人です。

 ※詳しく知りたい方は日本財団のサイト内「宗谷のすべて」をおすすめします。

船の科学館の「宗谷」

上から見た宗谷

後ろの青函連絡船「羊蹄丸」の半分もありません

 引退後の「宗谷」は、東京・お台場の船の科学館前に係留されています。同館の一般入場券で見学できます。

 6次に渡る南極観測の間は日本に帰るたびに改装を受け、さらに巡視船時代にも若干の改造を行っています。これも船としての使命を全うした姿として、意義ある状態といえるでしょう。塗装のみは南極観測時に準じたアラートオレンジに復元されています。

見学入口、船首側のデッキに乗り込みます

南極観測前に砕氷型船首に改造されました

船腹に張り出したバルジ

鋼板を張り増した跡が生々しい

 「宗谷」は灯台観測船から南極観測船になる際に、いろいろ改造を受けています。外から見て分かるのが、まず船首の形。写真だと喫水線にかかっているのですが、斧のような「砕氷型」に取り替えられました。

 また船腹にはバルジと呼ばれる張り出し部分が付けられています。排水量が増えて、復元力が増します。船体も二重構造になるので、氷の中での耐久性も有利と考えられたのかもしれません。

 外板の主要部も、鋼板を追加して元板と合わせた厚さが25mmになるよう補強されています。

 船番号も、灯台補給船時代の「LL-01」から、「PL-107」に変更されました。LLは"Light-House Service Vessel Large"、PLは"Patrol Vessel Large"です。南極観測船当時も、分類上は巡視船に準ずる扱いだったことになります。


「宗谷」全景

前部甲板

 倉庫に通じる開口部があります。南極観測船当時は、この上にセスナ180型機(第1次)/DHC-2型ビーバー機(第2〜6次)が露天で搭載されていました。

船倉のふた
この上に航空機を搭載

ブリッジから見た前部甲板
(船倉を跨ぐ通路は展示時に新設)

 ブリッジから眺めた写真で、柱が2本立っているように見えるのは、門型マストです。南極観測時はデリック(クレーンの一種)のブームが付いていましたが、巡視船になるときに撤去されました。

禁煙だそうです

救命浮輪は南極観測当時の塗色を再現

 ブリッジの前面には大きく「火気厳禁」。当時は今のように禁煙がやかましくない時代でしたから、よけいに目立ちます。

 白地に赤ラインの救命浮輪は南極観測時の塗色を再現したもの。現在ならオレンジ色になるところです。

3階・最上甲板

士官食堂内部、資料整理中でしょうか

士官食器室

 前部甲板は船全体では最上甲板(3F)にあたります。

 船内に入ると、まず士官食堂。資料の整理中だったのか、段ボールや書物が積み上げられていました。奥の壁に掲げられている「宗谷」の揮毫が目に入ります。

 隣接している食器室は、船が動揺しても食器が割れないよう、食器棚に食器を差し込む方式になっているそうです。見学窓からはちょっと分かりにくいのですが、「宗谷」はよく揺れる船だったので、必須の設備だったのでしょう。

最上甲板・左舷側

機関長室、奥は寝室

南極観測時の寝室は、航空長室でした

 機関長室は寝室と続きの広めの部屋です。南極観測当時は別部屋になっていて、寝室の方は航空長室となっていました。ヘリを2〜4機、固定翼機を1機搭載していた「宗谷」では、航空関係業務は重要な任務でした。

 個室を持っていたのは、他に船長や航海長などで、その他の科員(乗組員)や観測隊員は相部屋でした。

第1浴室

第1便所

 最上甲板の左舷中央部に、第1浴室と第1便所が並んでいます。第1浴室は士官用で、他に科員用と観測隊員用、船長専用の浴室があったそうです。

 便所は船内に4ヶ所。全て水洗ですが、流れていたのは海水。船上での真水は貴重なので、これは後の「しらせ」でも同じです。

狭い通路

第5士官寝室

 「宗谷」の通路は狭く、大人がすれ違うのも壁に背を寄せないと無理なくらいです。荷物など抱えていたら、揺れる船内のこと、大変だったでしょう。

 右側は第5士官寝室。ここから左舷側の船尾方向は第6〜第8士官寝室になっていますが、南極観測当時は「高層気象観測室」「暗室」などが配置されていました。巡視船になるにあたって一般の居室に改装されています。

最上甲板・中央部

南極展示室

元は事務室だったようです

 このフロアの後部には「南極展示室」があり、南極の氷の展示や「宗谷」が活躍していた当時の映像を見ることができるコーナーがあります。私が訪問したときは適正診断のコーナーがあって、「あなたのむいている観測隊員」を診断してくれました。ちなみに私は「昭和基地越冬隊員」。最も強力なのは「ドームふじ越冬隊員」でしょうけど、そこまでの気合いはなかったようです。

 南極展示室の入口には「各科事務室」の札が付けられていました。この付近は第1次・第2次南極観測時はヘリコプター格納庫があった辺りです。初期は小型のベル47G型だったので屋内格納ができたのですが、第3次からは大型のシコルスキーS58型に変更されたため、格納庫が廃止されてヘリは露天係留されました。南極往復を潮風吹きさらしで、さぞかし整備が大変だったのではないかと思います。

最上甲板・船尾側

最上甲板の船尾側、天井上がヘリ甲板

スクリュー

 第1次・第2次観測時は、ここがヘリコプター甲板でした。第3次観測以降では搭載ヘリコプターを大型化したため、上のフロアにヘリコプター甲板を増設、現在は縁の下のような状態になっています。

 ここでは取り外したスクリューをひっそり展示しています。

最上甲板・右舷側

無線室

コールサインは「JDOX」

 最上甲板の右舷側は通信関係の部屋が並んでいます。

 無線室は古めかしい機械がズラリ。短波帯の送受信機が多く、モールス信号を叩く電鍵も置かれています。「宗谷」のコールサインは南極観測船時代と巡視船時代を通じて「JDOX」でした。

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