塩屋天体観測所東経135度子午線を訪ねて子午線道中膝栗毛
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子午線自転車大縦断之記
その壱(兵庫県東浦町〜西脇市)

子午線日本最南端の地

子午線通過日本最南端の地にて

(上)子午線日本最南端の地にて
(下)日本最南端の子午線標識

日本最南端の子午線標識

 2001年8月13日朝、フェリーに乗って淡路島へ。

 一路目指すは大磯港。

 南極大陸からオーストラリア、ニューギニアを経て赤道を越えた東経135度子午線は、絶妙のルートで淡路島と友が島の紀淡海峡をすり抜け、津名郡東浦町沿岸に接近。大磯港の防波堤をギリギリすり抜けて、港の北側の防潮堤で日本上陸を果たすのだ。

 1/25,000地形図では防潮堤の曲がり角がちょうど子午線上陸地点なのだが、地図では「カクッ」と折れているように見える防潮堤も、現地では大きな緩やかなカーブを描いている。どの辺が子午線なのだろうと思うが、もともと地面に描いてあるものでもなし、親切に防潮堤のコンクリート壁に目印があるわけでもない。ま、細かいことは気にするまい。こんな何気ない場所が「日本最南端」なのかと思うとかえってワクワクするではないか。

 午前8時11分、子午線日本最南端の地到達。
 ここから今回の道中が始まる。

 すぐそばの洲本実業高校東浦校の敷地内に、「子午線通過点日本最南端の地」の日時計のモニュメント。「ちょっと失礼」と心の中でつぶやきながら校門をくぐって表敬訪問。1998年に出来たばかりの新しいもので、お盆休みの学校で、ひとり生真面目に時を刻んでいる。

 そして国道28号線に出てすぐそばの大磯港バスターミナルの敷地にも子午線モニュメント。順調に快調に、自転車は風を切って進んでいく。って、まだ走り始めて20分も経っていないのだけど。

淡路島北端をゆく

 淡路島北端の淡路町。明石からのフェリーが着く岩屋港のある町だ。この岩屋港のターミナルの入り口に子午線標識らしきものが建っているのだが、地形図上の子午線はここから2150mも西にある。

 そんなわけでこの町の子午線を訪ねるべく、北へ向かう。ちょうど淡路島の北端部を子午線が通過しているのだ。

 松帆の浦の保養所のある近辺が、そのあたり。こちらには子午線を示す標識などは一切ない。明石海峡の向こうには天文科学館の高塔とドームが見える。

 せっかくなので海岸線を走ろうと海へ出たら、砂浜はすぐに終わって、肝心の子午線通過地の近辺はテトラポットとコンクリート護岸で自転車の通れる場所ではない。しゃあねぇなぁ、と自転車を担いで通ろうとしたのが大間違いで、波消しブロックのコンクリートジャングルでえらいめに遭った。

 ほうぼうの体で岩屋港に引き返し、先ほど乗ったばかりのフェリーで再び本州に舞い戻る。

 しめて2時間あまり、なんとも慌ただしい淡路島の旅だった。 

本州最短明石の子午線

休館中の天文科学館前にて

休館中の天文科学館前にて

 「子午線」といえば「明石」のイメージがあるが、実は意外な事実がある。

 本州を縦断する子午線の長さは約116kmだが、そのうち明石にかかっているのは1.8km。実は本州5市9町を通る子午線のうち、意外にも明石市内の部分が一番短いのだ。これに対して神戸市内の子午線の長さは約7倍の12.8kmもある。都市としての規模も知名度も神戸の方がよほど大きいのだが、それでも明石が「子午線のまち」なのは明石の人々の努力のたまものなのだろう。

 海岸沿いの中崎公園から月照寺前のトンボの標識まで、いくつもの子午線標識を一気に駆けめぐる。せっかくなので天文科学館の高塔にものぼって行きたいところだが、あいにく月曜で休館日。道行く人に門の前で写真だけ撮ってもらう。

 ここまでまわって9時53分。もっとも淡路も明石も、「庭」とはいかないまでも勝手知ったるご近所エリアなので、ここから先が旅の本番である。

 明石公園を回り込んで、国道175号線と沿いつ離れつ、いざ北上開始。

神戸から三木・小野へ

 175号線を東に折れ、西神ニュータウンから平野町黒田、神出町とまわって、神戸市を抜けたのはお昼過ぎ。地図では平坦に見えるこのエリアも、実際に走ると意外にアップダウンが多く、思ったより時間がかかってしまう。

 三木市に入ってすぐのコンビニで昼食。

 三木市の子午線標識は、なぜか「日本標準子午線」でなく「日本標準子午線」と記されているものばかり。なんで「時」が抜けてしまったのかは分からないが、時に限らずなんでもかんでも日本のスタンダードという気持ちの表れ? だったらずいぶん強気な話だが、たぶん違うんやろなぁ。

 標高100mほどの台地を走っていたのが、三木の市街地で一気に加古川の支流、美嚢川までかけ下る。そして再び小野市境の丘陵地帯へ登らねばならない。

神戸市看板 三木市看板 小野市看板

さっそく神戸市

ようやく三木市

雲が増えて小野市

 ここから先ははじめて足を踏み入れるエリア。久留美の標識を過ぎ、山陽自動車道をオーバーパスする道路の坂のきついこと、きついこと。こんなところでヒーヒー言ってたら先が思いやられるのだが、体が坂道になれていないので仕方がない。それでも坂を登りきってしまえば比較的平坦な道になり、細い道を快調に進みながら小野市の万勝寺前の子午線公園に着く。

 この辺から空に雲が増えてくる。青空の下を走る方がもちろん気分はいいのだが、何せ8月の炎天下、直射日光を避けられるのはありがたい。

 万勝寺から再び175号線を目指す。

 国道175号線は、縮尺の小さな地図で見るとほぼ子午線に沿って北上しているように見えるのだが、現地では西脇の北の黒田庄町まで、一貫して子午線の西側を走っている。この道は途中から加古川により沿っているので、ここを走れば極端な登り降りはなく、のんびりサイクリングを楽しめるはずである。が、自分が相手にしているのは地図上を南北一直線に貫く子午線だ。山も谷も関係なく突き進むので、これに忠実に進もうとすると細かい道をつなぎ合わせて地形を無視して登り降りを繰り返すことになる。

 小野市万勝寺から社町三草の標識まではだいぶ間があるので、この間だけは少し迂回して175号線をたどることにした。地図の上では遠回りだけれど、体力的にはこの方がずっと楽なのである。

夏草や兵どもの古戦場

社の巨大案内板

社の巨大案内板

 社町市街からだいぶ東に入った三草という地区に、この町の子午線標識がある。

 篠山へ向かう国道372号線の途上で、子午線標識自体は人の背丈より大きい程度の石柱がささやかに石の台座に乗っているのだが、その近くに10m以上はあろうかという「日本標準時子午線東経一三五度西へ一五〇M」という案内板がデカデカと建っている。そんなことするなら最初から子午線上に大きいものを建てればよいのにと思うのだが、不思議なものだ。

 谷底に伸びる三草地区の集落は、古い家並みが残った風情の良い町並みが続く。あたりは一面の田園で、気持ちの良い場所だ。実はこのあたり、源平合戦の古戦場で、1184年2月の一ノ谷合戦の折り、京から丹波を経た源義経の別働隊が最初に平家軍と遭遇した場所である。ここで平家を蹴散らした義経軍は、その勢いで長躯須磨一ノ谷へ向かうのだが、そのルートはほぼ、これまで自転車で北上してきた道を、逆に南下していく道筋となる。

時の哲学と地理の哲学

西脇経緯度標にて

西脇経緯度標にて

 西脇市に入ったところで、急激に雲行きが怪しくなった。休憩がてらに寄ったスーパーを出たら突然ものすごい夕立。遠方で雷がビッシャンビッシャン地面につきたっている。小雨になったところを狙って走り出すが、またすぐに大降りになり、コンビニを見つけて再び雨宿り。にしわき経緯度科学館まであと数kmというところでこんな次第となり、そのまま西脇市で8月13日の日没を迎えることになった。

 西脇市は東経135度・北緯35度の交差する地で、「日本のへそ」をPRしている。明石の子午線は京都大学の観測隊によって1928年と1951年の2度に渡る天文測量が行われたが、西脇の経緯度交点は、旧東京天文台を原点とした日本測地系と呼ばれる座標系で、陸軍陸地測量部と国土地理院の手で1923年と1978年の2度に渡る測量を行っている。さらに1990年には人工衛星のGPS測量で世界測地系に基づく経緯度交点を測量する力の入れ具合。明石の子午線が時の哲学へのこだわりなら、西脇は地理の哲学にこだわっているといったところだろうか。

 JR加古川線の「日本へそ公園駅」のそばにある経緯度標を訪問。そしてへそ公園の中の経緯度科学館を外側から眺める。ほんとはゆっくり中を見たいところだが、あいにく月曜休館日で、どのみち時間的に閉館後である。明朝も早々にここを発ってしまうので、今回の旅では残念ながら素通りとなる。

 公園の中で野営。夕立後の星空がきれいだったが、すぐに雲が出て、あっという間に隠されてしまった。

子午線自転車大縦断之記(その弐)へ続く>

(2001年8月13日訪問)

塩屋天体観測所東経135度子午線を訪ねて子午線道中膝栗毛
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