塩屋天体観測所|東経135度子午線を訪ねて|子午線道中膝栗毛
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霧のモニュメント |
2001年8月14日。
西脇で野営して、朝起きたら辺り一面に立ちこめる濃霧。
「日本へそ公園」の一角にあるGPS測量に基づいて建てられた「平成のへそ」モニュメントを目指す。経緯度科学館の脇に入り口があるのだが、いきなり登り道で、しかも意外と長い。なにせ霧で先が全く見えないのだ。どこまで登るか分からないまま道をたどると、急に開けた斜面に出て、何本かの巨大なポールが建っている場所に出た。どうやらここがそうらしい。けっこうな距離を歩いたと思っていたのだが、後でここのパンフレットを見たら、実は下から丸見えの場所で、全然たいした距離ではなかった。いやはや。
日時計の丘公園 |
「子午線ふれあいの道」と名付けられた道路をたどって、黒田庄町を目指す。へそ公園を出てすぐに北緯35度の標識があり、同じ道を北へたどっていくと、加古川線の踏切の南側に東経135度の標識がある。
この踏切を越えると黒田庄町。そのうち「子午線ふれあいの道」は案内表示もなくなり、どこを通っているのか分からなくなるのだが、気にせず北上。どうやら道に迷った(?)らしいのだが、やがて「東はりま日時計の丘公園」の看板を見つけて、それをたどって自転車を走らせる。
この「東はりま日時計の丘公園」、名前からしていかにも子午線と関わりがあるような気がするのだが、実際は東経135度子午線から約4kmも東に入ったところにある。公園の案内板にも「黒田庄町のほぼ中央を子午線が通過していることにちなんで」建設したとあり、公園の中を子午線が通っているとは確かに一言も書いていない。とりあえずは表敬訪問のつもりで行ってみる。
なんでも5種類の日時計があるのが「日時計の丘公園」たるゆえんらしいが、実際は公園というよりオートキャンプ場といったところ。お盆のせいかほぼ満杯の賑わいようだった。
黒田庄町のモニュメント |
国道175号線沿いの黒田庄町の子午線モミュメントを目指す。
道路脇に看板が出ていたので、見落とさずにすんだ。
見る角度によってシルエットが変わる不思議な形のモニュメントで、青空とのコントラストがとても美しい。真ん中に開いている円内を子午線が通過しているという。全体が白く塗られているのだが、縁の下の部分だけ塗装がはがれてステンレスの地が露出しているのは、たぶん子どもが滑り台にして遊んでいるせいだろう。なんだかほほえましくなってくる。
朝の6時から走っているので、快調なペースで北上が続く。
黒田庄町を後にして、お次は山南町。
町の境に小型の道の駅のような休憩所があり、小休止する。実はこの山南町。子午線標識があることは確認しているのだが、場所が今ひとつはっきりしないのだ。「さんなん荘」というバス停の近くということは明石市のホームページで確認していたのだが、800円で購入した廉価版「ライトマップル」には地方のバス路線の記載がなく、何とも頼りない。
もっとしっかりした地図を買っておけば良さそうなものだが、10万分の1「マップル」はでかくてバッグに入らないし、「兵庫県都市地図」では地方の町は中心部しか拡大表示されていないので、結局は同じことになっていただろう。
だいたい自転車用のツーリング地図がないのが問題なのだ。バイク用のツーリング地図は市販されているのだが、峠を攻める体力派は別にして自転車は坂が苦手だし、マウンテンバイクを別にすればダートも走れないので、同じ二輪といってもバイクとは走り方がずいぶん違う。A4以内の大きさで10万分の1の地図があればずいぶん楽なのだが……自動車にとってはページをめくる回数が多くて不便になるので、売れないだろうなぁ。
明石天文台眞北 |
結局、交差点の角にパトカーが止まっているのを発見して、お巡りさんに「さんなん荘」の場所を教えてもらった。「さんなん荘」は公営の旅館か何かだと思っていたら、どうも福祉施設か何からしい(実は結局よく分かっていない)。
国道175号から脇道に入って、程なく「さんなん荘」を見つけ、道路の斜向かいに子午線標識も発見した。
小さな標識だが、日時計とのセットで、シンプルながら軽やかで感じのよい意匠。標識の裏側(南面)には「明石天文台眞北」と刻まれていて、はるばる明石からここまで地べたを這ってたどり着いたことを思い起こさせてくれる。それにしても天文科学館を「天文台」とは……たしかに塔のてっぺんに望遠鏡が納まっているので、ふつうの人から見たら天文台みたいなものか。
山南町の標識を見つけたのはまだ午前8時を回ったばかりの頃。
このツーリングは2泊3日の予定なのだが、2日目のこの日にどこまで進めるかで、3日目の行程が楽になるかどうかが決まる。東経135度子午線は北に近づくほど山道峠道ばかりなので、早めに距離を稼いでおいて、坂を登る体力を温存しておきたいのだ。
それにしてもこの日は朝から快調そのもの。このペースなら、無理なく陽のあるうちに先に進むことが出来そうだ。
氷上町に入るまでは、順風満帆そのものの8月14日だった。
「あれ、標識ないやんか!?」
氷上町のホームページからプリントアウトした町のガイドマップ。国道175号沿い、山南町との境界からほど近い場所にあるはずの子午線標識が、地図に書かれている場所に行っても見あたらない。町の地図とロードマップを見比べるときに、場所を間違えたのかと、国道沿いを先まで走ってみる。……しかし標識は見あたらない。
明石市のホームページでは「夫婦橋」というバス停から下車5分ということになっていた。が、バスが廃止されてしまったのか、バス停が見あたらない。地元のお年寄りにバス停があった場所を聞いてみたが、要領を得ず、橋のたもとということしか分からない。確かに夫婦橋という橋はあるのだが、実は子午線からだいぶ東に離れた場所で、この橋のそばに標識があるとは考えにくい。もっとも135度子午線の上に標識があるとは限らないので、橋から徒歩5分圏内を見当に、辺りを探し回ることにした。
氷上町の問題の標識 |
国道175号線沿いや橋の対岸の県道、上流・下流の別の橋まで走り回り、見つけたのは右の写真の標識のみ。しかしこの標識、実は町のガイドマップと500mも離れた場所にある上に、日本測地系の子午線からも400m以上離れた場所で、天文経度の子午線とも一致しない(そもそも天文測量をしたとは思えないが)。
どこかにまだ違うものが建っているのでないかと夫婦橋近くの集落の中も走り回ったが、結局何も見つからなかった。これはどうも他には出てきそうもないと、右の写真の標識を、町の紹介している標識と「同定」した。
この「騒動」に費やした時間は1時間。はっきりした結論が出ていれば、「こんなこともあるさ」と割り切れるのだが、今回は地図も現場も子午線も何一つ一致しないもやもやのままだけに、ちょっと疲れた思いが残る。
それも旅先のハプニングといえばそれまでなのだが。……この先にそれ以上のハプニングが待ち受けているとは、その時は思いもしていなかった。
水分れ公園の分水界 |
氷上町は「日本一低い中央分水嶺」があることで知られている。中央分水嶺は太平洋側と日本海川を隔てる日本列島の大背骨で、奥羽山脈や上越国境の三国山や谷川岳など、そうそうたる山並みが連なっている。ところがこの氷上町に限っては、なんと標高95mほどの低地が中央分水嶺になっているのだ。もし海面が100mも上昇すれば、ここで本州は2つの島に分かれてしまう。
子午線とは関係ないが、そこは物好きの野次馬である。
町の整備した「水分れ公園」というのがあって、上流から流れてきた川が公園内で分流され、片一方が瀬戸内海、片一方が日本海へ注ぐという趣になっている。公園整備の際に人工的に作った仕掛けだろうが、庭としてこんなぜいたくな遊びが出来るとは、日本有数の風流なものだ。これは見ておかずにはいられない。
「瀬戸内海へ70km」「日本海へ70km」
2つに分かれる水路のたもとにこんな看板が立っていて、本州の背骨にいることを実感できる。このまま流れに沿っていけば、下り一方で日本海まで出られるのだが、子午線はそんなことお構いなしに北へ一直線に伸びていく。最北端の京都府網野町までは、選ぶ道のりにもよるのだが、最低あと5ヶ所は峠を越えなければならない。
しばしの休息の後、水分れ公園を後にして、次の目標へ走り出した。
田んぼの中の直線道路を走っていたその時、パチッと何かが弾けるような音がした。
途端にペダルが重くなる。後輪がおかしい。何かが起こった。
自転車を降りて、点検。
後輪のスポークが2本、折れていた。
もともと後輪のリムが曲がり気味で、スポークの張り具合でそれを調整していた。出発前に異常は感じなかったのだが、ツーリングの荷物を積んでいたこともあり、予想以上に負荷がかかり、無理がたまっていたのだろう。それにしても、こんな所で!!
パンク修理の道具は持っているが、折れたスポークには何の役にも立たない。これは自転車屋でスポークを取り替えるしかない。自転車を押して、田んぼの向こうのスーパーまで歩く。駐車場にいたガードマンのおっちゃんをつかまえて、自転車屋の所在を聞く。途端に難しい顔。なにせお盆休みの地方の町だ。普通の店でも開いている方が難しい。それでも歩いて20〜30分ほどという自転車屋を教えてもらい、そこまで歩いていくことにした。とにかく修理をしなければ進みようがないのだ。
炎天下を歩くこと、約2km。幸いにも自転車屋は開いていた。
30代の店主が出てきて様子を見てくれるが、この自転車に合うスポークの在庫はないという。
「申し訳ないけど、プロショップにもってくしかないね。」
とりあえず残りのスポークの張り具合を調整して、応急処置を試みる。もっともこの先は、5ヶ所の峠越えが控えている。応急処置で走り抜けられる場所ではなく、この時点で一旦、修理のために引き返さざるを得なくなった。最寄りの駅まで走って、自転車をバラして電車に積み込むのだ。戻って自転車を直して、明日またここから出直すしかない。
結局、残ったスポークの調整だけでは、走れる状態にはならなかった。それでもやっかいな調整をお願いしたので、修理代を払うというと、「直らなかったのだからお金はいらない」という。丁重ににお礼を言って、店を後にした。
最寄りの駅まで徒歩で15分ほど。押していこうと思っていたら、店主が気の毒だからと、駅まで送ってくれると言った。遠慮はしたのだが、そこは自転車が好きなもの同士ということなのだろう。ご厚意に甘えて、自転車ごと車に乗せてもらうことになった。何から何までお世話になりっぱなしで、頭が下がった。
福知山線の電車に揺られながら、南下。2日かかって走った距離を、これから数時間で戻ってしまうのかと思うと、何やらとても不思議な気がした。
(2001年8月14日訪問)