塩屋天体観測所|東経135度子午線を訪ねて|子午線道中膝栗毛
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(2003年9月15日訪問)
「淡路島にあるラジオ関西(AM神戸)の送信所、子午線の上にあるって話ですよ」
という話を教えてくれたのは、明石市立天文科学館の井上学芸員。なんでも取材でお話ししたAM神戸の方がそんな話をしていたのだという。
AM神戸は、名前の通り神戸にあるラジオ局。もともと「ラジオ関西」という名前で、現在も会社の名前はそのままなので、昔からの人にはこちらの名前の方が通りがよい。
※その後また、ラジオ関西に戻っています。(2005.2.13追記)
本社は須磨にあったのだが、震災で全壊。
「生放送中に全壊した唯一の民間局です」と、当時の同局の報道担当の方から聞いたことがあるのだが、送信所は別の場所にあったため、13分05秒の中断後、放送を再開することが出来たのだという。
AM神戸の送信所は、もともと須磨の旧社屋上にあったのが、淡路島の岩屋に移転。さらに明石海峡大橋の工事進捗に伴い、電波障害が起きるということで、送信所の移転が計画された。たしかに近くに大橋の大鉄塔とワイヤーの塊があったら、送信の邪魔になりそうなのは想像に難くない。
移転先は、同じ淡路島でも少し南に下った東浦町。1994年に引っ越しが行われ、翌年の震災報道の電波を伝えたのも、この送信所である。
これが東経135度子午線の上に建っているというのだが……
高速船の愛称も「子午線」に |
十文字スリットのからくり |
というわけで、2003年9月15日、淡路島へ出発。
島といっても、晴れていれば家の窓から見えている場所だ。明石まで電車で15分、港まで歩いて7分。
本当なら舞子で明石海峡大橋を渡るバスに乗り換えた方が早いのだが、なんといっても、海上の旅は気持ちよい。
ちょっと驚いたのが、高速船のターミナル。この夏の間に新調されてきれいになっていた。航路の愛称の「子午線ライン」がしっかり大看板に躍り出て、旅客ターミナル……といっても切符売り場と待合室しかないのだが、その天井には十文字のスリットから太陽光を取り入れるからくりが仕込まれている。
正午になると、射し込んだ光が床から一直線に壁を伝い、天井につながる趣向である。なかなか味なことをするものだ。
ちょっときれいになりすぎて、さっぱりしすぎて殺風景な気がしなくもないのだけど、使い込んでいるうちにきっと人のたたずまいがしみこんでいくに違いない。
併走するフェリーを追い抜く。いるかの描かれた「たこフェリー」 |
ちょうど高速船の出航するところで、港でゆっくりする間もなく、あわてて船に飛び乗った。もっとも20分おきに船が出るので、そんなにあわてることもないのだけど、今回の目的は子午線の旅である。ついつい目指す淡路島に気がそそられる。
この明淡高速船、司馬遼太郎の「街道をゆく」に「播淡汽船」の名前で登場する。実は数年前まで「播淡汽船」ともう一つの会社の共同運行だったのだが、合理化のためか合併して「明淡高速船」になったのだった。播淡、とは「播磨国」と「淡路国」の頭文字をつないだもの。ちょっと時代がかってこちらのほうが好みだったのだけど、明淡もまた、身の丈にあった名前ではある。
100トンあまりの、それほど大きくない船なのだが、高速船の名に恥じず、スピードは出る。
潮の速さでは有名な明石海峡、しかも瀬戸内切っての交通の要衝で、大型船が東へ西へ行き交う間隙を突いて淡路島へ突っ走るのだ。航跡を跨ぐときは縦揺れが来るし、2階のデッキに立っていると、波しぶきが飛んでくることもある。
生活路線だから、旅客のほとんどはおとなしく一階の船室でのんびりしているのだが、どっちにしても13分、物珍しさの旅人は、外で潮風に当たった方が気持ちがよい。なんといっても明石海峡大橋の真下をくぐるのは、何回抜けても壮観だ。そんなこんなであっというまに淡路の島影が近づいて、まもなく岩屋港に上陸である。
相変わらず子午線から2km離れた淡路町の標識 |
岩屋中学校にある電子基準点、新時代の測量基準 |
岩屋港で町営のレンタサイクルを借りる。
いわゆる「ママチャリ」が一日500円也。
昔は高速船に自分の自転車を積んで往復したものだが(フェリーは自動車専用だった)、このレンタル自転車の存在を知ってから、横着するようになった。もっともフェリーの料金が改定されて、今では自転車片道200円なので、どっちがいいのか微妙なところ。
淡路島は南部を除けば、海岸沿いを行く限りおよそ平坦地なので、ママチャリでも特に不便はない。一路、目的地の東浦町へ向けて出発である。
行きがけの駄賃に、淡路町の標識を見ていく。
絵島を見て、岩屋の海水浴場の舗装された遊歩道を走り抜ける。これは自転車ならでは。
岩屋中学校にある電子基準点に立ち寄る。これは国土地理院が設置したもので、GPS測量を行う際の基準点となるもの。この近所では、三木市の三木幼稚園の敷地内にも同じ種類の物が立っている。三木の方は日本測地系の東経135度子午線上にあるが、岩屋中学校の物はもう少し、東側にある。
ちなみにこの岩屋中学校、木をふんだんに使ったけっこう素敵な建物だ。職員室が地べたにあって、なんとなく幼稚園のそれを思い出してしまった。親しみやすくて、いいんじゃないかなぁ。
淡路島を縦貫する国道28号線、途中で現在は廃道と化したかつての旧道との分岐点を越える。2000年の春から秋に開かれていた「淡路花博」の会場一帯は、道路の付け替えが行われて、定規で引いたような一直線の道になっているのだ。
歩道もきちんと整備されて、きれいな道ではあるのだが、走っていて楽しい道ではない。というのも両脇を金網で囲まれて、途中で寄り道の一つもできない構造になっているのだ。
旧道は断崖絶壁の上で景色も良かったし、なにせ眼下に見える海がとても素敵だった。もともと狭い道で自転車の待避場所もなかったくらいだから、付け替えられても仕方がなかったのだけど、ちょっと寂しい気がする。
そんな区間の真ん中のトンネルが、淡路町と東浦町の境界線。
いよいよ東浦町へ突入だ。
見えてきた送信所 |
送信所の鉄塔の高さは135m。かなり遠くからでも目立つものだ。
実は2000年に最初に淡路島を訪ねた際、「あれはいったい何やろう?」と思って、この塔の下まで来たことがあったのだ。塔に付属した建物にAM神戸のロゴが貼ってあったので、「なるほど、ラジオの電波塔か」と納得して先に進んだのだが、このとき写真の一枚でも取っておけば、わざわざここまでこの日にやってくる必要もなかったのだ。
というのは半分冗談で、半分は気楽なサイクリングを楽しみに来たようなもの。写真を撮るだけなら、空気が澄んだ日なら、塩屋の海岸からでも見える電波塔なのである。せっかくなので、真下まで足を運んでみた。
南側の送信塔 |
北側の送信塔(こちらが子午線上にある) |
高さが135m(子午線にちなんだのだろうか?)というと、真下に行くと天を突くばかりの大きさだ。
デジカメの画角には収まりきらないので、上の写真は両方とも、5枚ほど撮影した物をつぎはぎした物だ。ちなみにどこから電波が出ているかというと、塔の鉄骨でなく、ところどころにあるリングを伝うように縦に貼られたワイヤーからである。AM神戸は周波数が558kHzだから、波長に直すと537m。1/4波長で134m、ということで、きっとこのあたりにあわせて設計したのだろう。
2本ある塔のうち、地形図で計測すると北側の塔が世界測地系の東経135度子午線上に立っているようだ。
ということで、AM神戸の電波で発信される時報は、日本一正確な日本標準時の時報ということになる。
……うそです。どの放送局でも一緒です、はい。
東浦校の日時計モニュメント(これは以前撮った写真) |
物置場と化した東浦町・国道28号線沿いのモニュメント(今回撮影) |
「日本最南端」だった、洲本実業高校東浦校の日時計モニュメントは、少し地面から草が伸びていたけど、健在。実はこの日時計、朝夕の時間、ちょっと正確でないような気がするのだけど……まぁ朝は生徒が登校していない時間帯だし、気にしないようにしよう。
もう一つ、大浦港高速バスターミナルの脇に立つモニュメント。前々からちょっと存在を忘れられたかのような扱いを受けてはいたのだが、今回はこれまでにもまして、かわいそうな目に遭っていた。
もともと道路側が「裏側」になるような設計で、正面から見るにはバスターミナルの敷地から回ることになるのだが、それがまた……以前は電気コードが引き回されていた程度だったのだが、今回は木材やら何かの資材やらが立てかけられ、知らない人が見たら物置場状態になっていた。
町の税金で建てて置いて、これはないんじゃないかと思ったのだが、「子午線最南端の町」でなくなってしまったからには、名実ともに抹消したい存在なのだろうか?
神戸淡路鳴門自動車道の標識遠景 |
左の写真の部分拡大(赤枠の部分) |
東浦町にはもう一つ、子午線標識がある。神戸淡路鳴門自動車道の中央分離帯に1998年に建設されたモニュメントだ。なにせ高速道路にあるので、自家用車のない身には見学は困難を極めるのだが、2002年6月に高速バスを利用して訪問してきた。
今回はついでに、これを地上から見ることが出来ないか、挑戦してみた。
実はとても狭いエリアなのだが、麓から高速道路上の標識が見える場所がある。淡路交通のバス停でいえば「大磯保養所前」から一つ南側の交差点を東に入った奥地一帯……となるのだが、そんなものが見えようが見えまいが、困るわけではないので、写真だけ載せて終わりにする。右写真、中央左のリング上の物体が子午線モニュメントである。
2003年現在確認出来ている子午線標識とそれに関係ありそうな標識・モニュメントの類は、すべて訪問したことになる。
と言いたいところだが、実は紀淡海峡の友が島にも、なにやら子午線を示す標柱か何かが立っているらしいという話が浮かんできた。
もう少し調べて、場合によっては現地に出かけることになるかもしれない。
日本標準時子午線を巡る旅、まだまだ終わらない。
(2003年9月15日訪問)