塩屋天体観測所プラネタリウム・天文台訪問記
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パークス天文台訪問記 その1
2002年12月6日・7日

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 2002年12月、皆既日食を見に行ったついでに、パークス天文台を見学してきました。

パークス天文台

パークスの場所 オーストラリアのパークス天文台は、1961年に開設されました。シドニーから西に約400km。南半球で最大の口径64m電波望遠鏡を擁し、センチ波の観測で活躍しています。現在はパルサーの捜索を精力的に行っているほか、SETIの観測も行われています。

 この天文台がちょっとばかり名を知られるようになったのは、「月のひつじ」という映画のおかげかもしれません。

 原題を“The Dish”というこの映画、アポロ11号の月面着陸の電波を中継することになってしまったパークス天文台と街の人々を描いたコメディータッチの作品です。日本では2002年夏に公開されて、新聞のコラムで取り上げられたりしました。

 実はパークス天文台、アメリカと程良く経度が離れていて、しかも南半球にあるため、本来の電波観測以外にも、宇宙船や宇宙探査機との交信業務に使われています。地球が自転しているため、アメリカ本土で交信が出来ないときの中継拠点となるわけです。アポロ11号の他には、これも映画で有名になったアポロ13号、探査機ではボイジャー2号やハレー彗星探査のジォット、最近では木星のガリレオ探査機がパークスのお世話になっています。

 アポロ11号の際は、月に降り立ったアームストロング船長が船外活動を予定より繰り上げたため、月面着陸の瞬間を伝える大役が、パークスに回ってきてしまったのでした。

パークスへの道

ひつじたち バスの中での「月とひつじ」

草原のひつじたち。夏なのに枯れ草……

バスの中で“THE DISH”上映中

 このときの訪問では、兵庫県立西はりま天文台と、明石市立天文科学館で合同のツアーを組みました。日食観測に出かけたのが約40人、そのうち半数の20名がパークスまで足を運びました。

 パークス天文台のウェブサイトでは、飛行機に乗ってくるよう案内されているのですが、旅費を切りつめるため、バスでの移動です。400kmというと、東京→名古屋を超えて、岐阜の大垣あたりまでの距離になります。昼過ぎにシドニーを出発して、途中で山火事に出くわしたり、パークスに着いたのは夕方でした。

 実は直前(2002年12月4日)の皆既日食で、観測地となったセデューナという街まで片道12時間のバス旅を経験しているので、半日くらいバスに乗りっぱなしなのは最早なんでもなくなっています。山火事に出くわしてバスが止まっても、みんな喜んで(?)立ち上る煙にカメラを向けておりました。ユーカリの木が自然発火するので、山火事は年中行事のようなものなのだそうです。

 ようやく着いたパークスの街、中心部の商店街は結構にぎやかな雰囲気でした。オーストラリアの地方の街は、人口が少なくても、昼間はあんがい賑わっているように見えます。その代わりというのか、夕方店じまいするのはとても早くて、サマータイムを施行している地域では、陽が高いのにシャッターが降りっぱなしになったりします。

 この日は町外れのモーテルに一同まとめて宿泊です。あちらのモーテル、ちょうど日本のビジネスホテルに食堂をつけたような雰囲気です。建物はビルでなくて、せいぜい2階建てくらいのアパートづくりのような感じなのですが、部屋は広くて快適でした。実用本位で好感が持てます。

パークス天文台への道

ようやく見えてきた「お皿」 道路脇の看板

ようやく見えてきたパラボラ

天文台への看板

 パークス天文台、パークスの街から25kmも離れた場所にあります。日本だったら隣町になってしまいますが、オーストラリアでは心配無用。なにせこのパークス、隣町まで100kmあります。25kmなんて近いものです。

 バスに乗り込んでしばらくすると、小麦畑と草原の向こうに、小さくパラボラアンテナが見えてきました。

 パークス天文台の64m電波望遠鏡、“The Dish”です。

 ところが、パラボラアンテナが見えてから、天文台にたどり着くまでの長いこと長いこと。「お皿だ!!」と気付いてから、天文台への取り付け道路へ入るまでに数km、それから平原の中の単調な道をさらに5km。

 ようやっとたどり着いたパークス天文台では、澄み渡る青空と、遙か宇宙へ頭を向けたパラボラアンテナが、私たちを迎えてくれました。

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(2002年12月6日・7日/2003年9月22日記)

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