塩屋天体観測所観測記録室
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2009年7月20日〜25日 皆既日食クルーズ(6)

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2009年7月23日 小笠原・父島

 朝6時、目覚めると「ふじ丸」は入江に入っていました。小笠原・父島二見港です。船体の大きな「ふじ丸」は接岸することが出来ずに、沖合いのブイに係留されます。

 変わった船がいると思ったら、輸送艦「おおすみ」でした。湾の入口にはUS-1A飛行艇が羽を休めていました。

8:08 父島上陸

 「ふじ丸」搭載のテンダーボートや、地元の漁船を通船にして、ピストン輸送で父島に船客を輸送します。8:08、父島上陸。20日に姫路を出てから、3日ぶりに陸を踏みました。

 左写真の船が「おがさわら丸」。ふだんは東京港と父島を週一往復しています(多客期は増便)。貨客船らしいスマートな船形をしています。右写真、中央奥に停泊しているのが「ふじ丸」。クルーズ客船は船客を乗せるスペースを最大限確保するため、ずんぐりむっくりの船形です。

8:30 VERA小笠原観測局見学出発

 日食ばかりが頭にあって、小笠原の下調べは全くしていませんでした。船内の公開講座で聞いた、地質と生物の話が唯一の知識源です。そんな中でのメインイベントが、VERA小笠原観測局見学。こちらは別にレポートをまとめてあります。

9:57 長崎展望台

 VERA見学の帰りに寄った展望台。

 海の色が半端じゃなく青くてびっくりです。岬の向こうの積乱雲の下では、とっても分かりやすくスコールが降っています。

10:30 島内を歩いてみる

 VERA小笠原局から戻って、時間があったので、とりあえず島内散策。左写真が島のメインストリート。

 父島は日本地図で見ると小さな島ですが、実際は南北約7km、東西約4kmで、平地は少なく山ばかり。歩いて廻るには骨が折れるので、足を調達しようとしたのですが……残念ながら在庫切れ。人口2,000人の島に、「ふじ丸」の500人と、「おがさわら丸」日食ツアーの数百人が上陸しているので、出払ってしまうのも無理はありません。

 スーパーなどには「自衛隊さん歓迎」といった垂れ幕がかかっています。二見湾内にも輸送艦が停泊していましたが、本格的な演習の時には湾内がグレー一色になるほど艦艇が集まるそうです。たぶん数百人単位の隊員が上陸すると思いますので、島の商店にとっては大事なお客さんなのでしょう。

 「おがさわら丸」の岸壁です。この船も前日は北硫黄島沖の皆既帯中央線上で日食観測に出張していました。ターミナルの一角には宅急便の受付所。聞いた話では、宅配便業者はヤマト運輸と郵便局だけらしいです。東京都下なのに。

 マンホールはクジラとイルカのデザインです。右の街路樹はパンノキ。根元に斜めに突っ立っているのは、支柱ではなく、気根と呼ばれる根の一種。

10:56 小笠原海上保安署

 海上保安庁に寄ったのは、この船を見るため。監視取締艇「さざんくろす」。

 市販のモーターボートを海保用に仕立てたこのクラスの監視取締艇には、星座や天体の名前が付いています。「さざんくろす」は南十字星からの命名。ちなみに神戸港には「おりおん」がいます。

10:58 とびうお日時計

  日本標準時子午線の近所に暮らしていると、日時計があったら、確認したくなります。棒の先が天の北極を向いているのですが、うーん、緯度が低い。

 天文科学館の鈴木さんによると、正午の表示も、真北よりずいぶん東側にあるそうです。そこまではチェックしていないのが、私の甘いところ。

11:04 小笠原諸島戦没者追悼之碑

 硫黄島の戦いが世に知られていますが、太平洋戦争時には小笠原の島々も要塞化され、あちこちに戦跡が残っています。

11:14 咸臨丸墓地

 幕末の太平洋横断で名を残した咸臨丸ですが、その翌年の1861(文久元)年、小笠原諸島に派遣されました。小笠原諸島には江戸時代から日本人が度々足跡を残したり、漂着したりしていたのですが、幕末当時は欧米系の人々が居を構えていて、所属を確定させるための派遣です。

 この時の乗組員や、その前後に島でなくなった人々の墓地が、VERA小笠原観測局への山道の入り口付近にあります。林を分け入った墓地には教育委員会の案内板が立てられ、きれいに整備されています。

11:33 港に戻る

 「外来種除去スペース」って何をやってるんでしょうね。見たところただのコンテナですが。

 小笠原で「でんこちゃん」を見るとは思いませんでしたが、東京電力のエリアなのでした。父島には火力発電所があります。

 遊歩道になっているトンネルは先の戦争の時に掘られたものらしいです。出口近くには子どもの字の壁新聞が貼られているスペースがあって、「返還祭」の記事が載っていました。戦後しばらく、米軍の施政下にあった歴史を持っている島です。

 ここで一旦、「ふじ丸」に戻ってランチです。通船は10分に1便くらいの頻度で運行されていたので、特に待たされることもなく行き来できました。

13:30 二見湾遊覧

 申し込んでいたことすら忘れていたオプショナルツアーの二見湾遊覧船。

 イルカがやってきて船の周りをぐるぐる回って遊んでくれたり、枕状溶岩の露頭を見たり、なかなか見どころ満載でした。右写真で岩肌に鱗みたいな模様が浮き出ているのが枕状溶岩です。海中で溶岩が急冷されるときに、枕のような固まりになったもの。海底で出来るものなので、これが地上にあるということは、父島が隆起した島であることの証です。

 左写真、横長の長方形の穴が空いているのはトーチカ跡。見えているのは銃眼で、陣地の入口は岩の向こう側にあります。二見湾岸のあちこちにあります。

 湾内の沈船も太平洋戦争時のもの。かつては船の形を留めていたそうですが、現在は機関部らしきものが海上に突き出ているくらいで、他の構造物はボロボロです。魚礁になっているので、シュノーケルのスポットになっているとか。

 こちら、湾の奥のエダサンゴ群落。世界有数の規模だと言っていたような、いなかったような(すんません、いい加減で)。

 二見港には大型の船は接岸できないのですが、その理由の一つがこれ。岸壁を拡張しようとすると、どうしてもエダサンゴの群落にぶつかってしまうのだそうです。

15:03 浜辺にて

 遊覧船の旅を終え、ふたたび島内散歩。先ほどと反対側に歩きます。白い浜辺の向こうに浮かぶ「ふじ丸」がとてもいい感じです。

 白い砂浜の正体は、サンゴです。裸足で歩くにはちょっと痛そう。反射能がやたらと高くて、目にまぶしい浜辺です。

15:10 小笠原村役場

 役場はとりあえず押さえておく場所の基本です。建物はけっこう立派。庭にパラボラアンテナがあるのが、いかにも離島です。中に入るのは遠慮してしまいました。

 役場の庭には水準点があります。どうやって計測しているのかは謎。

15:13 小笠原ビジターセンター

 ビジターセンターと言うだけあって、小笠原の自然・人文がコンパクトにまとめて展示されています。30分もあればゆっくり見て回れるので、父島に上陸したら最初に寄っておくといいかもしれません。

 特別展示ではアホウドリを絶賛PR中でしたが、日食の展示に目が行ってしまうのは天文趣味人の性分です。深々と欠けた木漏れ日ピンホールの日食写真が速報で飾ってありました。

15:33 父島気象観測所と父島基地

 役場のすぐ近くで、気象庁と防衛省がお隣同士です。霞ヶ関以上の官公庁密集地帯かもしれません。

15:46 小笠原郵便局

 郵便局もあります。「皆既日食思い出定額預金」ってなんだ。いきなり定額貯金をするほどお金を持っている人って、そんなにいないのではないでしょうか。あ、普通預金から積めばいいのか。

 郵便局があるという当たり前のことに思いが至れば、ここから父島の消印を押した暑中見舞いをあちこちに送れたのですが、残念なことにアドレス帳を「ふじ丸」船内に置いてきていました。惜しいことをしました。

15:48 警視庁小笠原警察署

 郵便局の隣に警察があります。東京都下なので、警察署も警視庁です。パトカーは品川ナンバーです。

15:50 スコール

 突然降られました。

 折りたたみ傘は持っていたのですが、気休めにしかなりません。近くに中学校の自転車置き場があったので、とりあえず逃げ込みます。すぐに止むと高をくくっていたのですが、雨足は強くなるばかり。増水した水路ではヒキガエルがゴロゴロ小石のように流れていきます。

 そのうち自転車置き場に、家族連れがずぶ濡れになって駆け込んできました。何とはなしに話をしていると、先方も日食を見に小笠原にやってきたと言うことが判明。小型船で母島沖の皆既継続時間が3分ほどのエリアでご覧になったそうです。コンパクトデジカメの写真を見せて頂いたのですが、揺れている船の様子と相まって臨場感たっぷりでした。

 結局、ほぼ一時間足止めを喰らって、ようやく雨足が弱まり、自転車置き場を脱出しました。いい経験でした。

16:53 生協にも寄ってみる

 

 新聞は一週間分まとめて「おがさわら丸」の入港時に届けられます。まとめてパックで売られるのが小笠原流。雑誌もまとめて入荷。

 お店の品揃えは本土と変わらないなと思ったのですが、後で聞いた話では、ものが揃っているのは「おがさわら丸」が入港したときだけなのだとか。

18:00 さらば小笠原

 地元の漁船が一斉に見送りに出てくれるのが二見港の習わし。演歌を大音量のスピーカーで流しながら「ふじ丸」に併走する姿は、いかにも海の男って感じです。よく見ると小さいお子さんも同乗して一生懸命手を振ってくれています。

 見送りの船団は港の入口で引き返し、最後の最後までついてきた一隻も、名残惜しそうに舳先を港へ返します。たった一日の上陸でしたが、とっても中身の濃い一日でした。

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(2009.8.18記 福田和昭)

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