塩屋天体観測所プラネタリウム・天文台訪問記
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2005年の科学万博(2)
つくば科学博〜EXPO'85〜から20年

(2005.8.22および2005.8.31訪問/2005.9.5記)

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 第二会場・つくばエキスポセンター

つくばエキスポセンター外観

 筑波研究学園都市の中心部にあるつくばエキスポセンター。実はつくば科学博の第二会場で、メイン会場からはシャトルバスが運行されていました。期間中は、入場券の半券があれば入館できました。

 科学博の終了と共に一時閉館されましたが、1986年4月17日に再オープンし、現在に至っています。

プラネタリウム

 当時の目玉商品は、プラネタリウムでした。ドーム直径25.6mは当時世界最大。投影機は日本初の一球一光源式、ミノルタ「インフィニウム」の初号機でした。会期中は松本零士のアニメ番組を投影していました。 ドーム前方には巨大なハイビジョンスクリーンがあったのですが、1985年当時ですからアナログ式のハイビジョン。こちらはあまり活躍できなかったのではないかと思います。

 傾斜式ドームと、惑星投影機を分離したタイプの投影機は、前年の1984年に開館した横浜子ども科学館と共に、この種のプラネタリウムの先駆け的存在でした。

整理券配布案内 リニューアル告知

最終日の整理券配布
見ること叶いませんでした(涙)

リニューアルのお知らせ

 そのプラネタリウムも、稼働開始から20年を迎え、機種更新が決定しました。2005年8月31日がインフィニウム初号機の最終投影。私、足を運んだのですが、すでに整理券を配布し終えた後で、見ることが出来ませんでした。残念。実はその10日ほど前の8月22日も足を運んでいたのですが、この時は特別展のCG映画を上映していて、プラネタリウムの投影はありませんでした。残念。

エキスポセンター内

屋外のゆるぎ石 漏刻模型

昔からの名所「ゆらぎ石」

漏刻

 エキスポセンターの館内は大幅に展示が入れ替わっていて、開催当時からの展示物はほとんど残っていません。筑波研究学園都市の科学館的役割を担っていることを考えると、時代と共に内容が変わるのは、やむを得ない面があります。

 館の外にある「ゆらぎ石」は、そんな中でも数少ない科学博当時からの展示物。この巨大な花崗岩のモニュメントが人の手で揺り動きます。玄関ロビーにある漏刻とからくり時計、たぶん期間中は政府出展の歴史館に置いてあったのではないかと思うのですが、ちょっと自信がありません会期中からエキスポセンターに展示されていたものです。

一階展示室

 一階展示室はすっかり様変わり。体験型の科学遊具とでもいうのか、ゲーム機に近い機械がたくさん並んでいます。どちらかというと科学の基本原理を理解するというより、応用的なトピックを扱ったものが多く、ちょっと中途半端な感もあります。

 科学博当時のものとしては、写真左端奥の液晶パネルがあります。液晶テレビではありません。手のひらや体丸ごとを押しつけると、体温によって表面の色が変化するものです。それと鏡張りの小部屋があって、これも科学博当時からのものだったように思います。

つくば科学万博記念物展示コーナー ワスボット

つくば科学万博記念展示物コーナー

WASUBOTくん

 一階展示物の片隅に「つくば科学万博記念展示物コーナー」という小部屋があります。ここが科学博の記念品を展示したスペースです。以前はメインの展示室にも科学博の品物がいろいろ置いてあったのですが、年月が経つに連れて来館者の興味が薄れたのか、だんだん扱いが小さくなってしまいました。

 科学博関連のまとまった展示で一般公開されているのはここくらいなので、もう少し、当時を偲べる工夫をしてもらえるとうれしい気もします。ちょっと置き方を工夫するだけでも、もっといろんなものが並べられますし、写真や映像などをPCで見ることが出来るようにしてもいいと思います。

 目玉はやっぱり、WASUBOTでしょうか。政府出展のテーマ館で、毎日毎日エレクトーンを弾いていた彼です。1985年の最先端技術の粋です。なんかむき出しになったC-3POに似ていなくもありません。体中から延びたケーブルが頭の後ろにまとめられているのは、実は制御を別の場所に置いたコンピューターで行っていたためです。今だったら制御部も小型化して本体に搭載してしまうのでしょうけど……やはり20年の時代を感じます。

 もちろん、二足で立って歩くなんて芸当は出来ません。でも、当時は人型のロボットというだけでも、すごかったんです。

 この部屋には三菱未来館のタイムカプセルもあります。2030年に開封されるそうです。

2階はJAXAの展示室

コズミックプラザ入口 コズミックプラザ内部

コズミックプラザ入口

中はこんな感じ

 面目を一新したのは2階展示室です。JAXAのコズミックプラザとなり、宇宙開発の展示物がずらり並ぶ部屋になりました。直接、科学博とのつながりはないのですが、展示の質・量は、今のエキスポセンターで一番充実した場所だと思います。

日本ロケット開発史展示 打ち上げビデオ上映端末

日本のロケット開発史

ロケット打ち上げビデオ集

 世界各国のロケットの模型や、種子島宇宙センターの模型など、いろいろ面白い展示物があるのですが、なかでも興味深いものを2つピックアップ。一つは日本のロケットをずらりと年代別に並べたパネル。ISASとNASDAを並行して、そして両者のつながりも分かるように展示したものって、なかなかないんです。H-IIAにHOPEが乗っているのはご愛敬ということで。

 そして部屋の片隅には旧NASDAの開発したロケットの打ち上げシーンだけを集めたビデオを見ることが出来る端末があります。おすすめはN-IIとH-I。固体ロケットブースターが9本付いているのですが、この分離シーンが花びらが舞うようにきれいなのです。

 ……すみません、科学博からずいぶん脱線しました。

屋外展示

H-IIロケット模型

 つくばエキスポセンターのH-IIロケット実物大模型は、地域のランドマークといってもいいかもしれません。遠くからでもよく目立ちますので、エキスポセンターのシンボル的役割を果たしています。実はこれ、会期後に追加で建てられたもので、もとは1989年の横浜博の会場にあったものだそうです。

 H-IIロケットは科学博前年の1984年に基本計画が固まりましたが、科学博期間中は、まだ一般的にはほとんど知られていない状態といって差し支えありません。なにせ先代のH-Iロケットの初飛行が科学博翌年の1986年です。

 H-IIロケットの初飛行は1992年に予定されていましたが、第一段エンジンLE-7の開発が難航し、スケジュールは遅れに遅れました(自主開発だから苦労するのは仕方ないです)。この間エキスポセンターのH-IIロケットは、「未来のロケット」として空を仰ぎ続けました。

 1994年2月4日、H-IIロケット初飛行。未来が現実となった瞬間です。エキスポセンターのH-IIも、実はそのうち密かに打ち上げられるという噂が、つくば市内にまことしやかに流れたことがありました。こんな街中で固体ロケットブースターに点火したら、有毒ガスでとんでもないことになります。ていうか、本物だと思ってたんかい(^_^;

 やがて1995年には次世代機H-IIAの開発がはじまり、2001年にその初号機が種子島から宇宙へ旅立ちました。H-IIの運用は終了し、エキスポセンターの実物大模型もついに「過去のロケット」となりました。

 20年の時の流れというのは、それだけの重みがあるものです。

大通りモニュメント 旧トマト館

これも科学博当時のモニュメント

かつてのトマト館

 屋外展示のなかに透明なピラミッド状のモニュメントがあります。これは科学博の会場内、4つの大通りに設置されていたもので、東西南北の4つがあります。ちょっと地味ですが、当時を伝える貴重なものです。

 温室のような建物は、現在子ども向けの遊具施設になっていますが、以前は「トマト館」として、水気耕栽培のトマトを育てていました。科学博のテーマ館で、「1本の木から1万個のトマト」として展示されていたものです……というのはちょっとだけウソ。テーマ館の名物だったトマトを、改めて温室を建設し、エキスポセンターに再現したものです。トマトの木も科学博当時のものとは別に、育て直したものです。

 このトマトの木は、展示がリニューアルされたときに、なくなってしまいました。

H-IIAフェアリング フェアリングのハニカム構造

H-IIA試験機2号機のフェアリング

ハニカム構造がよく分かります

 屋外展示で目を引くのはこの白い物体。「なんだかロケットのフェアリングみたいだなぁ」と思って近づいてみると、H-IIAのフェアリングそのものでした。しかも実物。2号機で使われたものを海から引き上げたそうです。

 まさかこんなものを間近で見ようとは思わなかったので、かなりびっくりでした。

さてさて

調整中の貼り紙

 エキスポセンターの展示物、実はこんなことになってしまっているものが多いんです。故障中だったり、調整中だったり……決して印象は良くないので、早めに直してあげてください。

科学博シンボルマーク

 外壁に掲げられた「EXPO'85」マーク。ずいぶん色あせてしまいましたが、科学博当時から掲げられ続けているシンボルマークって、これくらいのものでしょう。退色してもタイルの外壁と調和しているので、これはこのまま残して置いてもいいかもしれません。

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