塩屋天体観測所|プラネタリウム・天文台訪問記
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(2005.9.18訪問/2005.10.18記)
科学博の会場中央、Eブロックに政府出展の「歴史館」がありました。たしかその門前にあったのがモニュメント「ヤマタノオロチ」です。
それにしても、なぜに科学万博でヤマタノオロチだったのでしょうか?
出雲の国、現在の島根県東部は、古代から製鉄業の盛んなところでした。
中国山地の北部が良質の砂鉄を産すること、そして製鉄の燃料となる木炭を大量に供給するに足る森林資源に恵まれていたのが大きな要因です。
そこで古代から受け継がれ改良されてきた製鉄法が「たたら」でした。宮崎駿の映画「もののけ姫」で中世の製鉄集落が描かれていますが、あそこに登場するのがたたら製鉄です。技術的な話は、日立金属のサイトのたたらの話に解説があります。
菅谷山内集落 |
日本で唯一現存している高殿 |
たたら製鉄は幕末・明治以降の近代製鉄の導入によって、衰退します。1925年に操業が停止され、第二次大戦中に一時的に操業したことがあったものの、それも戦後に廃絶してしまいました。
上の写真にある菅谷集落は1923年まで操業が行われていた「たたら場」です。最末期まで稼働していたものの一つで、特に炉が置かれていた「高殿」と呼ばれる巨大な建物は、日本で唯一現存しているものです。
一時は廃絶したたたら製鉄ですが、日本刀の材料となる和鋼を供給する必要性から、1977年に復活。現在は奥出雲町の日刀保たたらで、毎年冬に操業が行われています。
で、ここまで書いてようやくヤマタノオロチです。
製鉄を行う人々は山奥に住んでいたのですが、山麓に住む稲作の人々とは、いさかいが絶えませんでした。
燃料となる木炭を大量に生産することは、木々を伐採して山々が荒れることにつながります。また砂鉄を採取するために大量の土砂が下流に流れ、田畑の荒廃につながりました。
で、稲作の人々から見て、得体の知れないたたら場の連中が怪物「ヤマタノオロチ」だ、とする解釈があります。目が真っ赤で腹も血で真っ赤というのは、たたらの炎。しっぽから草薙剣が出てくるあたりも、やはり製鉄つながりを感じさせます。
ただ、そうなると、素戔嗚尊が酒に酔わせた隙にオロチをやっつけたというのは、たたらの人々に酒をガブガブ飲ませて、酔って寝入った隙にめった打ちにしたということです。なんというか、間抜けな話のような気もしますが、農耕民からすると、鋭い鉄の武器を大量に抱えていたであろうたたらの人々は、うかつに手を出せない存在だったのでしょう。
科学万博の「歴史館」では、古代からの技術の一つとして、たたら製鉄が紹介されました。
そして、日本古来の技術のシンボルとして、パビリオンの屋外にモニュメント「ヤマタノオロチ」が設置されたのです。
天を仰ぐオロチの頭 |
らせんがほどけて、オロチの頭につながります |
ヤマタノオロチは伊藤隆道氏の作品。1970年の大阪万博や1975年の沖縄海洋博でもパビリオンの企画やデザイン、モニュメントの設置をしている造形作家です。
科学博の終了後、会場の撤去と共に歴史館前のヤマタノオロチも姿を消しました。その後のオロチの行方は知れないままでした。
奥出雲たたらと刀剣館 |
復活のヤマタノオロチ |
時は流れて1993年。島根県横田町(現:奥出雲町)に「奥出雲たたらと刀剣館」が開館しました。
日刀保たたらの操業の様子を紹介すると共に、月に2回、日本刀鍛錬の実演が行われるという「生きた博物館」です。
2005年9月、松江に住む友人を訪ねて、そして菅谷の山内集落を見学する一環で、「奥出雲たたらと刀剣館」に立ち寄りました。そうしたら、なんと、いつか見たことあるようなものが、あるのです。
解説版を見てびっくり。なんと「1985年筑波での科学万博(EXPO85)の会場に展示されていたものです」と書いてあるではありませんか。
ヤマタノオロチは幾星霜の時を超え、はるか故郷の出雲の国へ帰っていたのです。思いもかけぬ、20年目の再会でありました。
なんか天文と全然関係のない話題ばかりでしたね。まぁいいや。