塩屋天体観測所|プラネタリウム・天文台訪問記
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(2005.8.31訪問/2005.9.5記)
科学博の会場では「ポストカプセル2001」という企画が行われていました。専用のポストに手紙やハガキを投函しておくと、16年後の2001年正月、21世紀の元旦に配達してくれるというものです。いわば郵便版のタイムカプセル。期間中に受け付けた郵便物は約328万通にのぼったそうです。
帰省先に届いたポストカプセル |
9月16日は科学万博最終日 年月日の「60」は1960年じゃなくて昭和60年です。 |
私の帰省先にも、当時小学生だった私から、自分宛のハガキが届いていました。年賀状や暑中見舞いも親にせかされないと書けなかった筆無精です。書くのにこまって、どうでもいいことをつらつら書きつづったのが文面から伺えます。未来への郵便ということだけが楽しみだった自分です。
それにしても、こんなに字が下手くそだったかなぁ。今でも決して上手いとはいえないのですが、自分でも判読に困るような字を書いていたとは……
故郷を離れ、神戸に住んでいるとは夢にも思わなかった1985年。幸い帰省先はそのままなので、こうして無事に私の手元に届いたわけですが、当然、転居先不明になっているものも数多くあります。とはいえ、9割以上の303万通を配達したというのがすごいです。郵便局の底力、恐るべし。
ポストカプセル2001の約328万通の手紙を保管していたのが、筑波学園郵便局です。
筑波学園郵便局入口の |
現在は差し出し出来ません |
学園都市の中心にあるこの郵便局、「つくば郵便局」や「つくば中央郵便局」でも良さそうなものですが、「筑波学園郵便局」というちょっと長い名前。
つくば市が誕生したのは1987年。科学博当時はバラバラの町村で、万博会場は筑波郡谷田部町、そして筑波学園郵便局のある場所は、新治郡桜村でした。研究学園都市の郵便局に、町村名を冠するわけにもいかず、こんな名前になったわけです。
しかし、町が会場で、最寄りの都市が村って、思えばすごい万博です。
前置きが長くなりましたが、この筑波学園郵便局の北側の入口に、ポストカプセル用のポストが置いてあります。投函者向けに趣旨と手続きを説明した青い看板もそのままです。封書が60円、葉書が40円の時代です。
看板やポストに「現在は引き受けしていません」「差し出し出来ません」という旨の注意書きが貼り付けてあるのが、かえって臨場感を醸し出しています。
このポスト、よく見るとロケットに顔が描いてあるデザインなんですね。
ポストカプセル記念碑 |
説明板 |
郵便局の西側、ペデストリアンデッキに面したところに「ポストカプセル記念碑」が建っています。説明を読むと2001年の配達を記念して建てられたような印象を受けますが、けっこう前からありました。こういうものは、たいてい裏側に建立年月日が刻んであるので、機会があったら確認してみたいと思います。
私が未来の自分に宛てた手紙は駄文でしたが、愛する人への思いを込めたメッセージは、時を経ても色あせることはありません。2001年の配達当時、郵政事業庁はポストカプセル郵便コンクールを開催。入賞作品はWebサイトで読むことが出来ます。うっかりすると涙腺を刺激されますので、気をつけて下さい。
ちなみに郵便局、1985年当時は郵政省でしたが、2001年の配達当時は総務庁郵政事業庁で、2005年は郵政公社です。これにとどまらず、民営化論議が活発にされているとは、これもまた20年前には思いもしませんでした。事業形態は変わっても、郵便は人の心をつなぐ大切な仕事です。その心意気だけは変えずにいてほしいものです。
2005年の科学万博、次は関西編に突入……するつもりが、出雲に行ってしまいました。