塩屋天体観測所東経135度子午線を訪ねて子午線道中膝栗毛
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森本おじさんのサイエンスツアー子午線編・海賊版

(2003年9月27日・28日訪問)

 森本おじさんからメールがやってきたのは、9月11日のことでした。

 「サイエンスツアー手伝っていただけませんか?」ということで、これは面白そうだということで、出かけることにしてしまいました。

 なお、このページは当日以外の写真もふんだんに使った海賊版ですので、まずはおじさんのツアーのページから先にご覧になることをお勧めいたします。

1日目

なんとかなるかも!?

 事前の打ち合わせは電子メールだけ。

 しかもツアーはバス旅行だというのに、私、電車と自転車でしか旅行をしたことがありません。車で行ったら何時間かかるか分からないのに、日程を組んだのは出発2日前。しかも出発前日には仕事場が朝から晩まで振り回される出来事があり、ドタバタしっぱなしの出発です。

 当日は集合時間の1時間前に明石駅に行きました。あ〜どないしよ、なんて思っていたのですが、ニコニコしながらやってきたおじさんの顔を見るにつけ、「なんとかなるかも!?」と勝手に安心したのでした。

明石の標識を全踏破

中崎公園の「刻」モニュメント 中崎公園のトンボの標識レプリカ 子午線交番の標識 国道2号の標識

中崎公園の「刻」モニュメント

中崎公園のトンボの標識レプリカ

子午線交番の標識

国道2号の標識

人丸前駅の標識 天文科学館玄関前 明石市立天文科学館 トンボの標識の前の路上

人丸前駅の標識

天文科学館玄関前

明石市立天文科学館

トンボの標識の前の路上

※上の写真はいずれも2001年に撮ったものです。今回は自分で撮ってなかったもので……9月にツツジは咲いていませんね、はい。

 海沿いの中崎公園にバスをつけ、ここから明石市内にある子午線標識をすべて歩いて踏破しました。

トンボの標識前でのご一行

トンボの標識前でのご一行
(おじさんの足元に路上の子午線があります)

 中崎公園の「刻」モニュメント。「『とき』って読ませるそうですが、『刻』は『とき』とは読まないですよね〜」なんて言ったら、参加者の方から「いや、読みますよ〜」と突っ込まれてしまいました。最初の標識で、早くも馬脚をあらわすいんちきガイドです。

 あんまり適当なことばかりを言ってるわけにはいかないので、天文科学館ではいつも子午線でお世話になっている西海学芸係長に解説をお願いしました。プラネタリウムの投影担当の直前にも関わらず、館内14階展望台から館外のトンボの標識まで、付きっきりでいろんなお話をうかがいました。天文経度と測地経緯度の話も、西海さんと森本おじさんが分かりやすくお話ししたので、いんちきガイドは安心してみんなの後をくっつくだけです。

 ところがこの間、プラネタリウムを舞台に事件が勃発していたのでした。

 おじさんのご主人、せつさんの名推理が的中して、なにより由美さんの献身的な努力があって、なんとか解決に向かいます。

西神ニュータウン

春日台公園日時計でのご一行

西神ニュータウン・春日台公園
(日時計を取り囲んで興味津々)

 明石はたくさん話題があるので、ただでも時間を使いすぎてしまいました。運転手さんと相談して、行程を決め直します。

 神戸市西区の西神ニュータウンにも子午線が通っています。神戸製鋼製の鉄製日時計が子午線標識。「ポートピア'81」で使われた後に引っ越してきたものです。

 「日時計の極軸の傾きがヘンじゃない?」

なんて言い出す人がいるあたり、ただのツアーではありません。手持ちの紙を折り曲げて「これがルート3だから……」「タンジェントなんとかかんとか……」なんて数学苦手の私には謎の会話が続きます。

 で、結局、時計のデザインによる錯覚と分かりました。めでたしめでたし。

 ニュータウンの真ん中の西神中央駅で、この日で日帰りの2人が下車。そしてなぜか2人が乗り込んで、北へ向けて出発です。

日本のへそ・西脇

昔からある日本測地系「日本のへそ」 GPS版「日本のへそ」

昔からある日本測地系「日本のへそ」

GPS版「日本のへそ」

 西脇までは、国道175号線をかっ飛ばします。この時点ですでに、宿泊予定の「丹波少年自然の家」到着が、予定より遅れること確定。いんちきガイドの面目躍如です。

 バスに乗りっぱなしのツアーですが、参加者から沿道の話題が提供されるので、見ている景色もなんとなく、違った雰囲気で目に焼き付きます。

 西脇市の「日本のへそ公園」に着いたのは17時。「にしわき経緯度地球科学館」は既に閉館後で、とりあえず、昔からある経緯度標こと日本測地系「日本のへそ」に向かいます。その前に「日本へそ公園駅」があったりするのですが、折良く単行のディーゼルカーが走ってきて、みんなして群がって写真を撮りに走ります。まるで鉄道ファンの集まりのようです。私のような田舎の出身者には珍しくも何ともない光景ですが、なにせ2時間に1本の列車、なんとなくそれだけで希少価値です。

 日本測地系「日本のへそ」とGPS版「日本のへそ」、2ヶ所を見学して急いで出発したいところですが、好奇心旺盛のご一行、なかなか足が進みません。

 トイレに描かれた太陽系図と星座図に喜び、タイル張りの世界地図で写真を撮り、風変わりな経緯度科学館の建物の謎に取り付かれます。避雷針4本をそなえたGPS版「日本のへそ」にたどり着いたら、すでにお日様が黄金色に染まっているではありませんか。なおも脇の遊具エリアの小道具にはまり込んだり、半円形の広場にあるステージでいきなり歌い出す人がいたり、公園を歩く市民の注目を浴びっぱなしです。

黒田庄から氷上へ

 西脇を後にし、国道175号線を一路、北へ向かいます。この国道の氷上までの区間は「子午線街道」と言っていいほど、東経135度の子午線に着かず、離れず伸びていきます。

 黒田庄町の子午線モニュメントは、なんと言ってよいのか、不思議な形をしています。

 国道の東側すぐ隣に建てられているものを、車窓から見学。あっという間に通り過ぎます。

 秋の日はつるべ落とし、の言葉通り、彼岸を過ぎたばかりの太陽は、あっというまに西空に消えてゆきます。

 このままでは、氷上の標識に着くまでに、真っ暗になってしまうかもしれません。

黒田庄町のモニュメント 氷上町朝阪の標識 氷上町の案内板

黒田庄町のモニュメント
(周りの風景が現在と違います)

氷上町朝阪の標識

救済措置・氷上町の案内板

※上の写真はいずれも2001年8月に撮ったものです。

 こりゃまずいかも、の心配通り、氷上町朝阪の標識に着いたときにはとっぷり日も暮れて真っ暗でした。

 しかもここの標識、高さが1mもない小さな石柱です。車窓からの見学で、あっという間に通り過ぎたので、見逃した人、多かったと思います。以前撮った写真を載せておきますので勘弁してくださいませ。

氷上の標識・秘話

 氷上町朝阪の標識ですが、とても見つけにくいので有名でした。コンクリート擁壁の上で、草ぼうぼうなのです。ちなみに以前の状態は下の通りです。

氷上町朝阪の標識・以前の遠景 氷上町朝阪の標識草刈り前 氷上町朝阪の標識草刈り後

氷上町朝阪の標識・以前の遠景

草刈り前

草刈り後

※上の写真はいずれも2003年9月7日に撮ったものです。

 「このままではバスの中からじゃ見つけられない」

 と思って、2003年9月7日、草刈りにいきました。

 自動車を持っていないので、自転車をばらして電車に乗り込み、最寄りの加古川線の駅まで揺られていきます。

 西脇市から先の加古川線、2時間に1本しか走ってないので、事前に予定を組んでおかないと身動きがとれなくなります。

 最寄りの船坂口駅から、片道7km。現地滞在時間90分で、自転車を組み立て、往復14kmペダルを踏み、掃除して写真を撮って戻って来ねばなりません。

 残暑の厳しい中、原付並みのスピードで快走(?)する加古川線を下り、さっそく氷上町へ向かいます。途中で道を間違えたりしましたが、無事に朝阪の標識にたどり着き、草刈りです。国道の建造物の上に生えている物ですから国有財産を無断で撤去した嫌疑が掛けられる懸念もありましたが、ここは文化財の維持・保全を優先します。

 草のツルを頼りによじ登って、標石に巻き付いたツタを剥がします。まわりの草も標識から離れるように追いやって、約10分の格闘の末、みごと、標識の文字も読めるまでになりました。

 サイエンスツアーはこうした苦労の上に成り立っています。

 ……というのは冗談で、森本おじさんからお誘いを受ける直前に、この氷上町朝阪の標識、たまたま偶然、写真撮りに行っていたのでした。タイミングの良いこともあるものです。

丹波少年自然の家

 でお泊まりです。

 到着がすっかり遅れて、ご迷惑おかけしました。

 お酒飲んじゃったので説明するの忘れましたが、ここも敷地内を東経135度子午線が通っています。夜は勉強会だったのですが、その前の打ち合わせで夜だけ合流した黒田さんにワインを勧められて、ついつい口をつけて酔っぱらってしまいました。いくつかネタを考えていたのですが、すっかり忘れてしまって、日本に時差があった話だけさせて頂きました。ほんとはこんなのも現物を持っていってたんですが……でも、おじさんの話で盛り上がって、すぐさま交流会になったので、かえって良かったと思います。

 で、交流会ですが、最終組は、午前3時半過ぎまでやってました。

2日目

青垣から但東町へ

 丹波少年自然の家を、予定通り9時出発。

 2日目は青垣町から兵庫県最北端の子午線通過地・但東町までバスで子午線標識を駆けめぐります。

青垣町の標識 夜久野町の標識 但東町栗尾の標識

青垣町の標識

夜久野町の標識

但東町栗尾の標識

※青垣・夜久野の写真は2001年8月に撮ったものです。但東町栗尾は今回です。

 ところが、いけません。

 前の晩……というか未明3時半まで交流を深めていたツケが回ってきます。

 青垣町の標識こそ、赤信号に助けられてゆっくり交差点に停まって見ることが出来ましたが、次の夜久野町では直前まで標識に気付かず、

 「あ、そこです! えっと、左側、役場の看板のむこう……じゃなかった前ですね、あれ?」

てな始末。これに懲りた但東町栗尾では、手前から用心しすぎて

 「次のカーブを曲がったらすぐですよ」

と言ってから、いつになっても標識が出てきません。緊張と沈黙が漂う中、3分くらい走ってからやっとこさ、標識が見えてくるていたらく。いんちきガイド炸裂です。

 通過するだけのつもりでいた但東町栗尾の標識では、急遽バスを降りて見学し、地元のおじさんにビックリされました。

 「こんなとこに観光バス停まるなんてみたことあらへん」

 そりゃそうでしょうね。

兵庫県子午線通過最北端の地

但東町中山モニュメント「太陽の道」 但東町中山「子午線塔」

但東町中山モニュメント「太陽の道」

但東町中山「子午線塔」

 2003年9月28日、11時40分、但東町中山に到着です。

 東経はもちろん135度、北緯35度30分。西脇から0度30分、明石からでは0度52分北上してきました。

 2日間かけて移動したのがこれだけです。地球って大きいですね。

出石にて

 奈津実ちゃんの案内で、おいしい出石そばを頂きました。「ほり川」というお蕎麦やさんで、とても雰囲気の良いお店です。新そばの時期にも、ぜひもう一度食べてみたいですね。

有子山城

 出石はそばで有名ですが、風情のある城下町としても知られています。

 城下町というからにはお城がありますが、出石のお城、実は3つあります。

 「出石城」「有子山(ありこやま)城」「此隅山(このすみやま)城」です。

出石城 有子山城 此隅山城

出石城

有子山城

此隅山城(有子山城本丸より望む)

 といっても、観光地として紹介されるのは出石城だけで、有名な辰鼓楼は明治維新後の建物だったりします。そんなわけで、出石のお城の歴史をおさらいしておきましょう。

 石高5万8千石(後に3万石)の出石にお城が3つもあるなど、尋常ではありません。もちろん同時代に存在したわけでなく、建てた順番は此隅山城→有子山城→出石城です。

此隅山城
 築城は応永年間(1368〜1375)とも、文中年間(1372〜74)とも。築城者は山名氏。最盛期に日本全国の1/6の守護を兼ねた山名氏の但馬の本拠。1569年に羽柴秀吉に攻められて落城、廃城となりました。典型的な中世城郭といえます。
有子山城
 此隅山城の落城後、山名祐豊・氏政によって1574年築城。此隅山が「子盗山」とも呼ばれて、落城してそれを嫌ったので「有子山城」にしたという冗談のような話がある。此隅山落城によほど懲りたのか、とんでもない急な山の上に建てたが、1580年、またも羽柴秀吉に攻められて、あえなく落城。中世から戦国末期の色を濃く残す実戦的な城郭です。
出石城
 小出吉英が築城。最初は有子山城に入ったのだが、1604年にこれを廃城にして、麓に築いたのが出石城。関ヶ原合戦・江戸幕府設立後の築城で、合戦を経験していない城です。戦の拠点というより、政庁的な役割の強い近世城郭です。

 というわけで、今回は、出石城の背後に築かれた、有子山城に登ってみました。

 もちろんツアー参加者でこんな所いくアホは、私だけです。他の方は楽しく町並み散策です。 

有子山登山口

有子山登山口(ブレちゃいました)

 「157段の石段を登り、37の朱の鳥居をくぐって」たどり着く稲荷神社は、出石城の最頂部にあります。

 この稲荷神社の向かいに、人しれず有子山城への登山口があります。目を向ける人はほとんどいません。

 それもそのはず、はっきりいって、ここから先は地獄の登山道です。

岩が露出した有子山城登山道 苔むした有子山城登山道

岩が露出した有子山城登山道

苔むした有子山城登山道

 その坂道の急なことといったら、半端ではありません。岩はゴツゴツ、場所によっては苔までむしていて、足元が不安定な上によく滑ります。先に荷物を預けておいて正解でした。手提げバッグなど持っていたら、こんなところ登れません。

 登るより、下りる方が怖い道、といったら、急な加減が分かっていただけるでしょうか。

 そんな急坂でも、ところどころに尾根を削った竪堀や、足軽が屯していたであろう削平地があって、退屈はしません。

 退屈はしませんが、なにしろ急です。しかも勾配に変化がなく、ほぼ一直線に尾根を登ります。

 家の近所の須磨の山にはよく散歩に行く私ですが、そんなもの役に立たないくらい、涙が出そうな急坂です。

有子山城土橋

有子山城土橋

 ひいひい言いながら気にするのは時計です。

 集合時間は15:00。前日に事件があったので、ここは意地でも時間を守らねばなりません。

 が、そばのお代わりなど食べていたので、山に登り始めたのが13:50。70分で登って下りてこなければならないのです。ものの資料によると、登山所要時間50分などと書いてあります。単純に往復したら間に合いません。

 そんなことを考えていたら、土橋が見えてきました。狭い尾根の両側を堀で切り落とし、人が通れる幅だけ残した防御施設です。やっとこ、城の中核部分だ、とホッとしたのもつかの間。さらに急な坂道がさらに続くのでした。

 土橋のあたりが、きびしい直線尾根登りの3/4地点で、息を切らしながら一踏ん張りすると、削平地に沿って登山道が右手に折れます。等高線に沿って進む道は、林道トラクターが走る道のようです。登りがなくなったので楽ですが、山頂はまだまだ上。この道歩いていて大丈夫なんやろか?

 と思ったら、隣の尾根線に出たところで、ジグザグに上に登っていく道が分岐していました。道標がないのでちょっと不安ですが、まっすぐ行ったら山を下りそうなので、ここは上に行くしかありません。なんどかジグザグを繰り返しているうちに、ふいに

有子山城・山頂部石塁最下段部 有子山城・山頂部石塁

有子山城・山頂部石塁(最下段部)

有子山城・山頂部石塁

木立の向こうに石塁が見えてきました。高さは4〜5mといったところですが、あまり加工していない石を積み上げる野面積みの石垣は、いかにも中世末期の戦国城郭です。最頂部の本丸までおよそ6段に渡って、林の中に石垣が累々と横たわっています。

 関ヶ原直前に築かれた但馬竹田城のような完成された美しさこそありませんが、戦国の荒波の中にもまれた野趣が漂ってきます。ここまで来れば、疲れなんて吹っ飛びます。

有子山城・本丸石塁 有子山城・本丸石塁

有子山城・本丸石塁

有子山城・本丸石塁

 14:25、本丸着。

 山頂の本丸からの眺めは、それは絶景でした。出石の城下町を眼下に収め、遠く日本海まで見えそうな気がします。気がしただけで、そこまでは見えませんでしたけど。

 足元の町並みを見ると、辰鼓楼もちゃんと分かります。町並み散策はしませんでしたが、町並み全体をひとまとめに眺めたので、それはよしとしましょう。

出石城下俯瞰写真

出石城下俯瞰

山上からの辰鼓楼

山上からの辰鼓楼

 さて、登りに35分かかったのですから、さっさと折り返さないと、バスに間に合いません。

 名残を惜しむ間もなく、山上5分の滞在で、さっき来た道を引き返したのでした。

播但道から姫路へ

 出石を後にした後は、和田山で竹田の城下町を車窓から見学です。うだつの上がった家がたくさんありました。

 山上には竹田城、いつかこちらも登ってみたいものです。

 生野からは播但道を一路、南へ下ります。無事に姫路に戻ったのは、夕方17時も過ぎた頃でした。

 お疲れさまでございました。

参考資料・今回訪ねた子午線標識一覧

市町 名称 場所 緯度(北緯)
黒字/世界測地系
青字/日本測地系
標識建立に利用した測地系 経度
(日本測地系基準)
建立年月日 備考
但東町 子午線塔 但東町中山 県道2号線(宮津八鹿線)東側 35°30'11.4"
35°30'
日本測地系 約310m東
モニュメント「太陽の道」 但東町中山 県道2号線(宮津八鹿線)西側 35°30'11.4"
35°30'
日本測地系 約240m東 1986年12月
「東経一三五度通過地点」標識 但東町栗尾 35°28'28.4"*
35°26'17"*
日本測地系
夜久野町 子午線標柱 夜久野町額田 夜久野町役場前 35°19'24.1"
35°19'12.6"
日本測地系 子午線上 1990年3月 初代標識は1925年10月、2代目標識は1933年7月
青垣町 「E135子午線通過点」標識 青垣町佐治 国道427号線と県道7号線(青垣柏原線)の交差点(小倉交差点)南西側 35°15'11.5"
35°15'
日本測地系 約100m東 1985年11月
氷上町 東経百三十五度子午線表示柱 氷上町朝坂 国道175号線東側 35°06'40"*
35°06'35"*
日本測地系 約300m東
黒田庄町 子午線モニュメント 黒田庄町田高 国道175号線南東側 35°03'28.6"*
35°03'17"*
日本測地系 1990年3月20日
西脇市 東經百三十五度北緯三十五度交叉點海抜六十三米標識 西脇市比延町タキノ上 35°00'11.6"
35°00'00"
日本測地系 子午線上 1923年10月
日本のへそモニュメント 西脇市上比延町 日本へそ公園内 35°00'00"
34°59'48.4"
世界測地系 1994年4月21日 GPS測量に基づいて設置
神戸市 日本標準時子午線と日時計 神戸市西区春日台9丁目 春日台公園内 34°42'51.7"
34°42'40"
天文経度 約370m東 1985年4月1日
第二神明道路日本標準時ゲート 神戸市西区玉津町水谷/西区水谷 34°40.54.3"*
34°40'43"*
日本測地系
明石市 トンボの標識前の路上の子午線 明石市人丸町 都心回遊路「時の道」上 34°38'58.9"*
34°38'47.2"*
天文経度
(1951年測量)
約370m東 1987年
トンボの標識 明石市人丸町 天文科学館北側 34°38'58.9"*
34°38'47.2"*
天文経度
(1951年測量)
約370m東 1930年1月26日 1956年10月現在地に移設
明石市立天文科学館 明石市人丸町2-6 34°38'58.1"
34°38'46.4"
天文経度
(1951年測量)
約370m東 1960年6月10日 1998年3月15日リニューアルオープン
天文科学館玄関前の路上の子午線 明石市人丸町 天文科学館玄関前 34°38'57.7"*
34°38'46"*
天文経度
(1951年測量)
約370m東 1998年3月
山陽電鉄人丸前駅の子午線 明石市天文町一丁目 34°38'51.7"*
34°38'40"*
天文経度
(1951年測量)
約370m東 1991年
国道2号の標識 明石市天文町一丁目 国道2号線北側歩道上 34°38'48.6"*
34°38'36.9"*
天文経度
(1928年測量)
約360m東 1933年
大日本中央標準時子午線通過地識標 明石市天文町二丁目 大蔵交番前 34°38'44.2"*
34°38'32.5"*
天文経度
(1928年測量)
約360m東 1910年10月30日 1928年移設
モニュメント「刻」 明石市中崎一丁目 中崎公園入口 34°38'35.8"*
34°38'24.1"*
天文経度
(1951年測量)
約370m東 1989年
トンボの標識レプリカ 明石市中崎一丁目 中崎公園内 34°38'33.7"*
34°38'22"*
天文経度
(1951年測量)
約370m東 1984年 1990年現在地に移設

(2003年9月27日・28日訪問)

塩屋天体観測所東経135度子午線を訪ねて子午線道中膝栗毛
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